2021/10/25

ヤオラ  
今日は顕正新聞第1554号を読んでいくが、その前に片付けておくべき事案がある。

2021/10/19 9:06
投稿者:T.I
誤記がありました。
「382号昭和56年11月5日号」は

「382号昭和【61】年11月5日号」
の誤りです。

ですので、冨士も顕正新聞も叱呵痴犬抄を受けての話になります。


なるほど、これでツジツマが合った。いわゆる浅井武勇伝と称されるものは昭和四十年代の御遺命守護がそれであるが、上掲も武勇伝の一つと言えるのかもしれない。実際には法論の実現を見なかったものの、叱呵痴犬抄の破壊力は相当なものだった。なぜならば、その後の相手方の消息がまったく聞かれなくなったからで、ようは活動力を大幅に低下させたのだろう。

わたくしの記憶に鮮明なのは、むしろその後の妙観講の蠢動だった。蠢動などと言えば相手に失礼であるが、次から次へといろいろ出てくるなあと、当時はそんな感想を懐いたものだった。

しかし、今になって思えば、その後はむしろ空白期間がベラボウに長く、ある意味では今もその延長線上にいるのだろうという気がする。早い話が迷走の始まりだったかもしれないのだ。

その契機は宗創戦争だった。

結局、妙観講が顕正会にチョッカイを出さなくなったのは対創価学会のほうに注力しなければならなかったからであり、いわば顕正会はそこでも蚊帳の外に放り出されたわけなのだ。相手にされない。相手にしてもらえない。ゆえに業を煮やして平成十七年頃になって、やおら対決申し入れなどというパフォーマンスを行なったものの、それでも相手にはしてもらえなかった。ダラダラと時間ばかりが経過しているものの、今も基本的には何も変わっていないのである。

さて、そこで顕正新聞の話題に移りたい。

「新潟会館御入仏式」特集号

わたくしが真っ先にツッコミを入れたいと思ったのは、それが最後、これが最後、発言である。このことはさすがに顕正会員たちも承知している話であり、本部首脳だってバカばかりではないはずなので、何らかの言い訳なり整合性を取る方法なりを考えたはずである。その答えらしきものが五面に掲載されている。

 六年前の佐渡会館御入仏式において、「二万人新潟大会」の大号令を頂いた際の
 「新潟に来るのはそれが最後」
 との仰せは命に灼きつきました。


婦人部第九総部長(新潟県)の発言である。わたくしの読み落としがなければ、これが唯一だろうと思う。まさか浅井先生の自語相違を責めるために発言しているわけではあるまい。すると本部首脳の指示なのかもしれない。

ようするに完全に頬かむりを決め込んでしまうと批判勢力からの猛烈なツッコミを受けることになるので、先に自分たちで言ってしまうことによって痛みを緩和する作戦なのだろうと思う。

だとしても浅井先生の自語相違は厳然たる事実であり、もはや永遠に消えることはない。

ここで冒頭の話に繋がるのだ。ダラダラと長くやっていると、こういうことになるのである。言っていることが矛盾だらけになる。それは凡夫であれば当たり前の話であり、心境の変化とでも言えばそれで済む場合がほとんどである。

しかし、浅井先生は違うだろう。イヤミを言えば、教祖なのであるから一貫不変でなければいけない。ところが現実は矛盾だらけである。

しょせんは浅井先生も凡夫なのである。

ちなみにわたくしも凡夫である。ゆえにツッコミどころがたくさんあるとは思う。とは言え、拙ブログはわりと一貫性が保たれている。その理由は削除をしない点にある。

拙ブログは削除をしない。コメント欄もである。ゆえにコメント投稿者も気をつけないといけない。なぜならば削除されないからである。

この点、わたくしの沖浦氏に対する信頼は高い。そもそも最初から実名で投稿しているのは、その覚悟があってのことだろう。自分の発言に責任を持つという当たり前のことをしているに過ぎないのだが、現実には責任を持たない人が多い。ただ拙ブログは書き込んだら最後、永遠に削除されることはない。こういう方針のためか、逆に無責任な投稿はほとんどない。

話が脱線した。

浅井先生は完全主義者ゆえか、過去の発言を微妙に修正したりしている。記念すべき最初の宗門諫暁書だって、今は封印している。おそらく今の浅井先生の目からすれば、いくつもの瑕疵があるわけなのだろう。そのまま出せばいいのにと思うが、それができないのが完全主義者である。

2021/11/4  7:46

投稿者:沖浦克治
 名無しさん、おはようございます。

 裁判が見苦しいというなら、法治国家には住めません
ね。
 大聖人も日興に命じて裁判への指示を出されておられま
す。

 『伯耆房等深く此の旨を存じて問注を遂ぐ可し、平金吾
に申す可き様は文永の御勘気の時聖人の仰せ忘れ給うか、
其の殃未だ畢らず重ねて十羅刹の罰を招き取るか、最後に
申し付けよ、恐恐。』
 (聖人等御返事)

★もんちゅう【問注】 〈審問注記〉の意で,平安から鎌
倉・室町時代にかけて,官司が当事者から事情聴取をする
ことをいった。 問注の結果を記したものを問注記とい
う。 源頼朝は鎌倉幕府創立の当初に,侍所,公文所(のち
の政所)とともに,訴訟事務を取り扱う機関を設けて,こ
れを問注所と称した。
 〜以上SNSから〜

 少し社会の常識と道理を弁えなさい。
 私の神戸市役所での大罰は事実ですが、それを殊更取り
上げる事を仏法は厳しく禁じています。

 『又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て
其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人
は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は
当に世世に牙歯疎欠醜き脣平める鼻手脚繚戻し眼目角�に
身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべし」
文、』
 (十法界明因果抄)

 『当に世世に牙歯疎欠醜き脣平める鼻手脚繚戻し眼目角
�に身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべ
し」』

 この状態がそれ程にも羨ましいとお思いなのですか?
 普通なら避けますよ。

 如何??

2021/11/4  7:36

投稿者:沖浦克治
 名無しさん、おはようございます。

 裁判が見苦しいというなら、法治国家には住めません
ね。
 大聖人も日興に命じて裁判への指示を出されておられま
す。

 『伯耆房等深く此の旨を存じて問注を遂ぐ可し、平金吾
に申す可き様は文永の御勘気の時聖人の仰せ忘れ給うか、
其の殃未だ畢らず重ねて十羅刹の罰を招き取るか、最後に
申し付けよ、恐恐。』
 (聖人等御返事)

★もんちゅう【問注】 〈審問注記〉の意で,平安から鎌
倉・室町時代にかけて,官司が当事者から事情聴取をする
ことをいった。 問注の結果を記したものを問注記とい
う。 源頼朝は鎌倉幕府創立の当初に,侍所,公文所(のち
の政所)とともに,訴訟事務を取り扱う機関を設けて,こ
れを問注所と称した。
 〜以上SNSから〜

 少し社会の常識と道理を弁えなさい。
 私の神戸市役所での大罰は事実ですが、それを殊更取り
上げる事を仏法は厳しく禁じています。

 『又八の巻に云く「若し復是の経典を受持する者を見て
其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人
は現世に白癩の病を得ん若し之を軽笑すること有らん者は
当に世世に牙歯疎欠醜き脣平める鼻手脚繚戻し眼目角�に
身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべし」
文、』
 (十法界明因果抄)

 『当に世世に牙歯疎欠醜き脣平める鼻手脚繚戻し眼目角
�に身体臭穢にして悪瘡膿血水腹短気諸の悪重病あるべ
し」』

 この状態がそれ程にも羨ましいとお思いなのですか?
 普通なら避けますよ。

 如何??

2021/11/4  6:59

投稿者:名無し
まともな人間なら、良い話をする時に人を下げて自分を
よく見せるようなことはしません。
見苦しい裁判劇して、仕事サボって職を失うようなアホ
にはわからのいのでしょうねww
聞く側は良い話を聞くのは心地良いでしょう。
他人を貶め承認欲求を満たすような話はウンザリしま
す。
ましてブーメランくらうような輩が言えばなおの事嫌悪
感をもたれることを学習しましょうねw

2021/11/4  6:56

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様おはようございます。

 フェイスブックの友達で、切通正義さんという方がおら
れます。
 熱心な法華講員で、元創価学会員でした。
 その方が、先日中国の方を入信させられ、フェイスブッ
クに書かれました。
 早速お祝いをコメント致しました。
 以下引用致します。

· 返信する · 10時間
沖浦 克治
おめでとうございます!
· 返信する · 10時間

切通 正義
沖浦 克治 さま
いつの日も感謝で御座います🙇‍♂️... もっと見る
· 返信する · 9時間

沖浦 克治
切通 正義 さん、おはようございます。
何れの宗派にせよ、お題目を唱える方が増える事は嬉しい
です!
 〜引用終わり〜

 スティーブ。ジョブスが書いていました。

★もっと大切な何かを求めよ・・・

 創価学会が・・・・
 日蓮証だけが・・・
 顕正会しか・・・・
 身延では・・・・・

 これで良いのでしょうか?
 私は良くないと思います。
 私は創価学会員ですから、当然創価の信心が一番と信じ
ます。
 ですが、それはオンリーワンでなく、ベストワンだとい
う事です。

★しかダメ!

 では争いが起きるだけです。
 三沢抄に書かれています。
 更に、大聖人は仰せです。

 『日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事は
なし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、』
 (上野殿御返事)

★お題目を世界中に弘める!!

 門下の責務であって権利です。
 それが、

★あそこの題目は異なる本尊に唱えるから罰だけだ・・・

 御書の何処に書いてありますか? 
 念仏だって功徳があると釈迦は説いています。
 お題目なら猶更です。

 違いますか??

2021/11/3  15:33

投稿者:沖浦克治
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。

神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた幻想ではなく、
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
   
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。
        
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、
 
全てはあなたの手の中にあるのだから
世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい? 
シックベッド(病床)だよ。   
あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
   
しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。
   
人生だよ。命だよ。
     
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。
「健康な生活を送る本」

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。

2021/11/3  15:32

投稿者:沖浦克治
 スティーブジョブス最後の言葉

私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。

病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。

   
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。   
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。

2021/11/3  15:30

投稿者:沖浦克治
 名無しさん、今日は

 生徒が朝7時前に来て、5分だけトレーニングして、コ
ーヒーグイ飲みしてバイトに行きました。
 キャベツ新聞紙にくるんで持って来てくれて、恋女房に
宜しくと言って風みたいに出て行きました。
 
 私は凄く嬉しくて、信心してて良かったと心底思いまし
た。

 ですが、私が闘っている方々は、年収億を超えている人
が複数います。
 ですが、幸福度は私には勝てません。
 何故だか分かりますか?

★『第一法師功徳の事
 御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄
の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉
る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて
大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを
功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏な
り又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清
浄と得意可きなり云云。』
 (御義口伝巻下)

 六根清浄の事を創価では、人間革命、と言います。
 幾ら社会で成功しても、人間革命がなされなければ、来
世への福運の引継ぎがありません。
 所詮現世だけなのです。
 わかりますね?

 スティーブ。ジョブスの言葉を次のコメントでアップし
ておきます。
 読んでご自分がどれ程屈折しているか、よく反省し祈っ
て立ち直りなさい。

2021/11/3  13:06

投稿者:名無し
>ですが、1億円も受けても不満な人を知っています。

協会組織に見苦しい裁判を起こして争いごと終始する修
羅界の強い人、プライベート時間だけでは飽き足らず仕
事をサボって趣味に興じバレて職を失う餓鬼界の強い人
を私は知っています。
上辺では有難いなど言っていますが、やってることがロ
クでもない人がいることもよく私は知っています。

2021/11/3  7:14

投稿者:沖浦克治
 嚴虎さん、皆様おはようございます。

 今朝(ほんの15分前)立派なキャベツを二つも頂きま
した。
 バイト行きしなに、ジムで5分間ヘックスバートレーニ
ングして、コーヒーグイ飲みして、キャベツ置いて風のよ
うに去って行きました。
 キャベツ二つで今幸福です。
 ですが、1億円も受けても不満な人を知っています。

★日常生活で心が潤って暖まる。
 人生で最も重要だと思います。

 凄い発明をした。
 立派な組織作った。
 沢山儲けた。

 大切ですが、その結果が自身の日常生活の潤滑油になら
ないなら、虚しい人生。
 法華経は徹してここを説きます。
 得難き人身を受け、会い難き法華経に出会った。

 最高〜〜!!

2021/11/2  8:38

投稿者:大沢克日子
>こうして私は、顕正会に在籍して大謗法を犯し、一旦は人生を破綻させる寸前までいきましたが、御本尊様の大功徳力で蘇生することができ、父を救っていただき、温かい家庭を築くことができました。経済的にも何不自由なく生活できており、本当に夢のようです。
しかし、顕正会で作ってしまった謗法の罪障は消えた訳ではありません。
その罪障消滅のために、入信以来、今日まで精いっぱい折伏して、百五十人ほどの人達を入信に導くことが出来ました。

・自戒も含めた反省になりますが、邪教謗法に功徳が無いのは当然の理ですが、本当に信仰の功徳を日々実感している人は、御本尊の有難さ・謗法の恐ろしさを身をもって体験し、順逆問わず、確信みなぎる折伏をします。それは、対象者の心に刺さり、多くの人を正法に導きます。逆に、負のスパイラルに陥ると、正法を持っていても、折伏しなくなります。

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