2021/12/2

シュウタイ  
顕正新聞の続きである。インフォメーションというコラムがあって、イベルメクチンの話題を書いている。

イベルメクチン使用を勧める東京都医師会長
大手製薬会社がワクチンと新薬利権≠ナ圧力か


この見出しだけでは少し誤解を生むかもしれない。東京都医師会の会長はイベルメクチンを推奨している由だが、その会長に対して圧力が掛かっていると読めてしまうのだ。全体の論旨はそうではなく、イベルメクチンは安くて良い薬なのになぜか普及していない、それは大手製薬会社の思惑が絡んでいるから、といった感じである。

記事では、イベルメクチンの生みの親である大村智博士の言葉として、次のように紹介している。

 Aワクチンを製造している大手製薬会社や新薬を開発している企業にとっては、イベルメクチンのような安価な薬が出回れば新薬が売れなくなるから。

当然、前後には@とBがあるわけだが、上掲が簡潔でわかりやすいので他は省略した。ともかく、もしこれが本当ならば大変なことである。企業が利潤を追求するのは当然にしても、社会貢献が前提となることは論を俟たない。そうでなければ悪徳商法と同じになるだろう。人命に関わる分野の企業がこのテイタラクでは世も末である。

ところで顕正新聞に戻ると、上掲の直前には次のような文言が記されている。

 さらに、大村博士は別のメディアのインタビューで・・・

なぜか出典が明記されていない。その他の部分では読売新聞オンラインだとか週刊新潮だとか、引用の前か後に必ず出典が書かれているのに、ここだけはないのである。何かヤマシイことでもあるのだろうか?

水島日叡(能化・教学部長)の
  摧尊入卑・食法餓鬼ぶり


世相閻魔帳の第十五回である。内容は相変わらず辛辣で、冒頭ではいきなり猊下までトバッチリを食らっている。

単に宗門僧俗から「ゴホッスショーニンゲーカ」と言われて悦に入り・・・

だったら、別のくだりに出てくる「適当さ」は「テキトーさ」と表記すべきだろう。

 水島の経歴は元学会員とやや特殊。

ここはどうなんだろう。かつては創価学会出身の僧侶が相当いたはずである。今はほとんどいないのだろうか?

同寺信徒は所属と氏名を偽って顕正会本部や地方会館に夥しい数の迷惑・無言電話をかけて業務妨害に及ぶ下劣ぶり。

これはどうやって発覚したのか、そこが気になるところだ。

 水島は種脱相対すら理解していないのか。

この本文と連動して、寺院の公式サイトの画像が掲載されている。次がキャプションである。

邪宗の寺院と見紛う能安寺の公式サイト

ようするに一般ウケを狙って、大聖人ではなく釈尊を前面に出していることを、批判しているわけである。後半には、能化・教学部長の寺がこのテイタラクなのだから他の寺院も同じだろう、という意味のことも書かれている。

(何か特別な料金はかかりますか?)

この回答部分について、世相閻魔帳では「適当さは度し難い」と断じているわけだが、わたくしも意見を言っておこう。やはり説明の言い回しがイヤらしく感じるのは事実だと思う。つまり、逆効果である。また、思い切った提案をさせていただくと、信徒として登録しなくてもほぼすべての行事に参加できるようにすべきだろう。そういう開放的な寺院が理想のはずなのだ。

さて、最後は法務部長・藤村雄大氏の記事である。

音声捏造がバレて窮地に立たされた大草一党
起死回生のトンデモ鑑定≠一刀両断する


まだやってんのかよ。いつまで続けるつもりなのだろうか?

・・・これ平成17年に浅井先生との公開対決から逃避した大草が、自らの醜態を糊塗するために企てた謀略の一つであった。

面倒なので説明を端折るが、ここはどうかと思うところである。まず、平成十七年に大草氏が逃避したという点は顕正会側の勝手な解釈に過ぎず、したがって醜態でも何でもないかもしれないのである。しかもあれから何年経つのか、そこが重要なポイントだろう。もし大草氏に醜態との自覚があるならば、そのリベンジのためになぜにこれほどの長年月を費やす必要があったのか、である。その理由がまったく見えてこないのだ。この点、顕正会側の説明を聞いてみたいものである。

「裁判で勝てる鑑定書」を安請け合いする大和科学鑑定研究所のHP。「筆跡鑑定」がお得意な模様

今回の記事で新情報と言えるのはこの部分だけのようだ。ようは妙観講側のほうで新たな鑑定書を出してきた。ところがその鑑定書を作成した人物は、主には筆跡鑑定に従事してきたらしく、音声についてはあまり実績がないようなのである。いわゆるカエリタマエ事件は音声が問題となっているので、筆跡鑑定は意味がない。

この問題におけるわたくしの着眼点はただ一つである。浅井先生が不在だったことの証明である。先生がどこに行っていたのか、それを言えば決着がつく。こんな簡単な話もあるまい。言えない理由は何だろうか?

2021/12/3  16:42

投稿者:大沢克日子
>弱みに付け込む???
すると貴方は理証安国論は鎌倉幕府の弱みに付け込んだ書なのですか?
本当に情けないお方です。

>実に兼知未萌の大聖人が依正不二という仏法の明鏡に照らして、国土の災難の先兆と、その元凶を究明され、続出する三災七難の対治と国土の安全、娑婆即寂光の正道を説かれた『立正安国論』は、まさに末法万年の恒久平和への道を開く警世の大献策であった。
(日蓮大聖人正伝 改訂版93〜94頁、平成30年、大日蓮出版)

創価学会教学部教授の発言とは思えない情けなさです。
「立正安国論」の何処を拝せば、「弱みに付け込む」ことになるのでしょうか?

大変莫迦げた話です。
自己正当化、自己弁護(つまり自己中)の主張をしようとするからそうなる。

また沖浦さんの素性が明らかになったので、言い訳、自己弁護のコメントにはもうお答えしません。
本題に戻ります。

2021/12/3  16:16

投稿者:大沢克日子
>御書の何処にそういう表記がありますか?
 本来の折伏とは、大聖人仰せの折伏とはどういうものですか?

相当な愚問です。
邪宗邪教が不幸の因である事を知り、相手を何としても救いたいとする慈悲の一念で、他人に捨邪帰正を勧めるのが大聖人様の望まれる折伏です。
そして、凡夫がその慈悲心に立つためには、正しい御本尊への唱題が必須ということも明言しています。

もし他人の不幸につけ込んで折伏や勧誘をして良いという御書があるのなら、ぜひとも示してください。
そんなものはありません。
自明の理ですから。
そんなこともわからずに、御書、御書と叫んでいる人は、人の形をした畜生と言えるでしょう。

「未萌を知るを聖人」と言うが如く、邪宗謗法が堕獄の因となり、正法受持こそ成仏の因であると識られている大聖人様は、衆生救済のために三度の国諌をなされています。 

人が不幸になったから(不幸につけ込んで)勧誘してくるそこら辺のインチキ宗教とは、全くの別物であることは自明ですし、何かが起こると
「前々から申しておりましたとおり」
と得意げに語る会長とも全く違います。

沖浦さんは、言葉は柔らかながら、不幸になった(癌にかかってしまった)知人をわざわざ勧誘した訳ですよね?
本当に病に苦しむ人は、藁でもすがる思いで、
「効くというもの、治せるというものは全て試した」
という心理になるのです。
それは「人の弱みにつけ込む」ことにはならないんですか?

邪宗は堕獄の因、邪宗を捨てて正法を持てと折伏すれば、ただでさえ反発を呼びます。
それに加えて、かつて沖浦さんのような人が、病気や不幸に直面した人のもとを訪れて折伏(ないし勧誘)したことで、世間の嫌悪感を増長したのです。

それが正しいというのなら、不幸になった知人友人を訪れて、ドンドン勧誘してみてください。

まあ、創価学会で
「知人友人に不幸が起きたら題目を勧めなさい」
と勧めているのなら、沖浦さんの問題ではなく、学会の問題ですが。

2021/12/3  14:59

投稿者:沖浦克治
 大沢さん、今日は

 貴方はかなり捻じれていますね。
 
>弱った人が藁にもすがるおもいで、題目を唱えたとして
も、それは本来の折伏、大聖人仰せの折伏とは違います

 御書の何処にそういう表記がありますか?
 本来の折伏とは、大聖人仰せの折伏とはどういうもので
すか?

 以上の如く、貴方は常に観念論捏造言い逃れしかありま
せん。

 弱みに付け込む???
 
 すると貴方は理証安国論は鎌倉幕府の弱みに付け込んだ
書なのですか?
 本当に情けないお方です。

 毒気深入失本心故

 日蓮正宗にいても貴方には良い事はありませんね。
 身延でやり直しなさい。

2021/12/3  13:13

投稿者:大沢克日子
>私はね、相手に創価学会に入りなさいと言った事が殆どありません。
 お題目を唱えるなら、何宗の方でもそのままで結構です。
それが私のスタンです。

それが沖浦さんのスタンスならスタンスで、普段から題目を勧めるべき、と言う事をいっているんです。
普段から題目を勧めていれば、わざわざ癌になった人に勧めることもありません。
現に病気や事故で不幸になってしまった人に、折伏であれ勧誘であれ勧めるのを、世の人々は
「弱みにつけ込んで勧誘」
と嫌ったのです。
(弱った人が藁にもすがるおもいで、題目を唱えたとしても、それは本来の折伏、大聖人仰せの折伏とは違います)

世の人々が、創価学会(日蓮正宗)は人の弱みにつけ込んで勧誘するというのをすっかり勘違いした人々が、
「折伏をすれば支持を失う」
と思い込んでしまった。

沖浦さんは、その勘違い組の一員ですね?
いくらもっともらしい事を言っても、それは自己中であり、無慈悲です。
兼ねてから折伏していた人が、病気を機に気付くことももちろんあるのですが、それは普段の折伏の積み重ねの結果として起きたことですので。

2021/12/3  12:44

投稿者:大沢克日子
>★弱みに付け込むような事はしない!!

 池田先生から教わっております。

現につけ込んでますからねえ。

2021/12/3  12:25

投稿者:沖浦克治
大沢さん、今日は。

 貴方は命が修羅界にあるのです。
 境涯が修羅界にあるから、どうしても菩薩の慈悲は出て
来ません。 
 下品の善行が限界です。

 『第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に
常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ
己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁義礼
智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」
文。』
 (十法界明因果抄)

 だから命は言葉通りになります。

★ただ、私のような凡夫は、障害者を多数殺害したような
男を見ると、
「こいつ、許せねえ!!!」
「絶対死刑!!!」
と思ってしまいますが。

 この思いが怨嫉謗法である事を、既に乞眼の婆羅門の説
話を通じて説明しています。
 ですが、貴方は御書の教えより自身の感情が前に出る。

 菩薩はそう思わないのです。

 『雪山童子薩�王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の
行となるべしと責しかば身をすつ、』
 (佐渡御書)

 菩薩とはこういうお方です。
 貴方の書き込みで私を非難する部分は具体論が全く無
い、推測と捏造に願望だけです。
良くないですね。

 私はね、相手に創価学会に入りなさいと言った事が殆ど
ありません。
 お題目を唱えるなら、何宗の方でもそのままで結構で
す。
 それが私のスタンです。

 以前ある法華講員の方が、創価学会に戻りたいので力を
貸して欲しいと言われました。
 神戸まで会いに行って話しました。

★貴方が創価学会から法華講に来るときお世話になった法
華講員の方がおられますでしょう。
 先ずそのお方に菓子折りの一つでも持って、創価学会に
戻りたいと頭を下げて下さい、
 そしてそのお方が良いと言われるなら、私は出来る限り
の事を致します。
 ですがそれが無いなら私は何も致しません。

 宗教云々以前、これは人としての常識です。
 常にそういうスタンスです。

★弱みに付け込むような事はしない!!

 池田先生から教わっております。

2021/12/3  11:07

投稿者:大沢克日子
>どんな人間であれ、皆命は平等で尊い。
立場の違いはあれど、人間が「功徳」だと感じた事象(出来事)を、どう評価するかの違いなんじゃねぇの?
大沢氏は、事象(出来事)を功徳とは認めないと言ってるだけで、人間事体を否定しているわけじゃないと思うが。

おっしゃるとおりです。
どんな人間であれ、皆命は平等で尊い。
尊くない命などありません。
人に限らず、草木や国土も仏性を具えます。

ただ、私のような凡夫は、障害者を多数殺害したような男を見ると、
「こいつ、許せねえ!!!」
「絶対死刑!!!」
と思ってしまいますが。

もとより、人間の命は等しく尊い。

私が他宗の功徳を認めないのは、端的に言えば、戸田先生が
「邪宗の題目に絶対功徳はない」
「身延ぶっ潰す」
等とおっしゃったのと同趣旨です。

2021/12/3  9:37

投稿者:.
人間(存在)に対する評価と、功徳(事象でいいのかな?)に対する評価は、
必然的に異なると思うけどね。
どんな人間であれ、皆命は平等で尊い。
立場の違いはあれど、人間が「功徳」だと感じた事象(出来事)を、どう評
価するかの違いなんじゃねぇの?
大沢氏は、事象(出来事)を功徳とは認めないと言ってるだけで、人間事体
を否定しているわけじゃないと思うが。

2021/12/3  9:09

投稿者:大沢克日子
普段からその人のことを思って、慈悲心から折伏を繰り返している人なら、その人が不幸・病に苦しむことがあれば、普通のお見舞いで良いのです。

それこそ、お見舞いの品を手に、
「早く良くなってください。また一緒に滑りましょう。」
と励ますだけで充分。

病に苦しんでいる人は、藁にも縋る思いでいます。
普段なら題目を唱えず、入信もしないはずの人も、気弱になっていて題目を唱えたり、入信してしまうこともあるかもしれない。

それを世間では、「人の不幸につけ込む」といいます。
そういう事例が山ほどあって、創価学会(日蓮正宗)への嫌悪を助長したのかも知れません。

2021/12/3  8:48

投稿者:大沢克日子
>折伏ってね、癌で落ち込む人がいるなら寄り添って、お題目唱えなさい、必ず良くなります。
私も今日から祈ります。 
貴方も祈って癌をやっつけて、来年も再来年も私と一緒に滑ってくださいね。
これが折伏です。
他人の不幸にわが胸を痛め、幸せを共に喜ぶ。
 
根本的に・全部間違っています。
「癌で落ち込む前に」捨邪帰正を勧めるのが折伏です。
本来、折伏というのは、身の回りの人が癌になる前に、元気なときに、邪宗邪教の害毒・罰を説いて、捨邪帰正を促す慈悲行です。

沖浦さんの上記の言葉、何となく優しげに聞こえますが、無慈悲です。
何故なら、不幸になった人のところに行って、不幸につけ込んで誘っているに過ぎないのです。
(本当に大切な人なら、普段から勧められるはずですから)

普段折伏を重ねていれば、その人が病気や事故にあっても、その時にわざわざ宗教の話をする必要はないのです。
そしてその人は、やがて邪宗の害毒に気付く。

沖浦さんはきっと、普段折伏していない癖に、知人友人が事故にあったり、癌にかかって苦しんだりしている時に、わざわざ出向いていって
「罰だ!!罰だ!!入信しろ〜〜〜!!!」
と騒ぎまくって、
「何という非常識な人だ!!」
と言われたのを、
「悪口を言われたので罪障消滅〜〜〜!!!」
と騒いでいたタイプでしょうか?

戦前、創価学会の弾圧のキッカケになったのは、中野(?)で、沖浦さんのような人が邪宗信仰の人の葬儀に行って、罰だ、罰だと騒いだことが契機になったと聞いています。

そういうことにならぬよう、普段から身の回りの人の折伏が必要なんですね。

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