2021/12/6

ケシュ  
筆頭副総男子部長について説明すると、わたくしが便宜的に使っているだけで、そのような名称は存在しないと思う。拙ブログの長年の方針として、相当の大幹部であっても個人名は伏せるように努めている。なぜならば顕正会を辞めればタダの人だからだ。現に総合女子部長だった人物にしても、先代ないし先々代は突然の交代劇によって姿を消している。基本、拙ブログには彼女らの個人名が記されていないので、いちおうはプライバシーが守られているはずである。これはわたくし自身が法律に抵触することを恐れているのではなく、あくまで相手のことを思ってのことである。

さて、今日は顕正新聞第1560号である。

わたくしは驚いた。当該号の会長講演はいい意味でどうかしているのだ。これは誰の意図なのだろうか?

初めて×3

こんなことは初めてである。浅井先生は「始めて」を好んで使うわけだが、現代国語的にはどうかと思ってかなり頻繁に指摘してきた。今までは意地でも変えないように見えた。ところが今回の記事ではすべてが「初めて」になっているのだ。

おいてをや

これにも驚いた。今までは「おいておや」と書くことが多かった。これは逆に矛盾するようだが、わたくしは「おいてをや」を主張してきた。なぜならば現代人にとっては相当に古風な言い回しであり、死語に近い言葉だからである。もし現代人がこれを多用し、かつまた「おいておや」が一般的であれば、わたくしもそれに準拠すべきと思う。しかし、現実的にはほとんど使われていないわけだから、それならば御書の表記に準ずるのが顕正会としても一貫性のある態度のはずである。

いつもどうでもいいことにこだわっているように思われるかもしれないが、むしろこれは顕正会首脳部に言っているのである。特に顕正新聞編集部は仕事にウンザリしているフシがあって、それゆえに校正が雑である。もし一定以上の教養のある人が顕正新聞を読んだとして、どのように感じるかを考えるべきだろう。特集号として大量に配布するのであれば、なおさらのことである。

ところが当該号は特集号の扱いにはなっていないらしい。例の「〇〇」特集号という表記が存在しないからである。
この点、想像されるのは内容的に一般向けではないからなのだろう。わたくし的には年に一回、浅井先生による日蓮本仏論が開陳される意味で楽しみにしているわけだが、確かにマニアック過ぎて一般にはウケない内容である。

 釈尊、五百塵点劫の当初、此の妙法当体の蓮華を証得して・・・

例えば当体義抄の当該御文にしても、一般人どころか創価学会員や法華講員であっても、御書を真面目に読んでいない人は気がつかないだろう。平成新編ないし全集で確認すると微妙に違うのである。まさか誤植ではあるまい。浅井先生なりの考えがあってのことと思われる。

久遠元初の自受用身と
応仏昇進の自受用身との異


完全にマニアックである。仏教に関心のある人でもチンプンカンプンだろう。なぜならばいわゆる日蓮系の教団であってもすべての宗派がこれを理解しているわけではないからである。

浅井先生は日寛上人の御指南に基づいて説明しているわけだが、御相伝書にもわずかにその片鱗を窺うことができる。

応仏昇進の自受用報身 久遠元初の自受用報身

ところが本因妙抄ではご覧のように表記されている。報とは法報応の三身の一つと思われるが、この点、浅井先生はほとんど説明したことがない。なぜだろうか?

下種の教主と脱益の化主

これまた日寛上人の御指南なのだろう。しかし、御相伝書にはこれに近い表現は存在するものの、同じものは存在しない。特に化主が気になるところで、御書には見当たらない表現のようである。

仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。

これが近い表現である。日寛上人の御指南よりも御相伝書を優先させるべきが筋と思うのだが、当該講演ではこの有名な御文がどこにも載せられていない。そこがやや不審だった。

 しかしこの名字即には「聞名の名字」と「解了の名字」の二つがある。

ここにも不審がある。解了の名字については総勘文抄を引いて説明しているものの、聞名の名字には御書の引用がない。やたらと詳しく説明しているようでいて、抜けているところが少なくないようにも感じられるところである。

「一期弘法付嘱書」(重須本門寺・日耀の臨写)「臨写」とは御真跡そのままに書き写すこと

ここは二箇相承への疑義に婉曲ながらも回答しているわけなのだろう。

 しかし御相承は断じて断絶するものではない。やがて御遺命を堅持あそばす貫首上人がご出現になれば、直ちに蘇るのであります。

そしてこちらは現代における御相承への疑義についてである。顕正会に詳しい法華講員には言わずもがなのことだが、これに関しては浅井先生の発言にブレがある。ブレブレの日和見野郎とまでは言わないが、過去の発言との齟齬が著しいのは事実だろう。わたくし的にはかつて先生が言っていた、御相承の授受を疑われること自体が罰なのである、というのが無難な発言だったと思う。ずっとそれを言い続けていれば、日和見のブレブレ野郎とはならなかっただろう。あれ? ちょっと違っているかな? まあ、どうでもいいか・・・

会長・原田稔に公表させ・・・

例の受持の対象にするしないの話である。ここは少し進歩した表現になっている。かつては池田氏がそれを発表したかのような言い方をしていたが、氏はすでに表舞台から降りてしまっているので事実と反することになる。ゆえに上掲のように、させたと言っているわけである。しかし、まだ問題が残っている。氏の病状がどの程度のものかである。何しろ顕正会でも氏を生ける屍みたいに言ったりしているわけだから、そのような人物に高度な政治的判断が下せるのかが問われるだろう。

 「2025年にも本格的な台湾への侵攻が可能になる」

台湾のしかるべき人物の発言らしい。確認していないが、発言自体は事実なのだろう。ただし、顕正会の主張自体はブレブレというかノビノビになっていて、広宣流布のタイムテーブル的には遅れに遅れている。ゆえにズルいのだ。真面目な活動会員たちは上掲で誤魔化されてしまうのだ。それに気づいた人たちが離脱していく。

種まき権兵衛

これはどうでもいいネタである。それにしても先生は物知りだなあ。わたくしは知らなかった。

全世界の人類

さらにどうでもいい話だが、ここは個人的な言語感覚の問題に過ぎないかもしれないとは思いつつも、言っておきたい。全世界の人々くらいが妥当なところだし、単に人類だけでも良さそうである。もしくは全人類だろう。

2021/12/8  8:49

投稿者:.
376: 沖浦克治 :2015/02/16(月) 21:35:12 ID:z/cYWxuo0
蝸牛さん、

 曼荼羅は本門の本尊ではなく、それを象ったものですね。

 そのものではないのです。

 寛師はここで迷ったのです。

 曼荼羅は本門の本尊だと言った。
 所が本当は本門の本尊を象ったものです。

 鏡に映った人は、本物の人間そのものではありませんね。
 所が寛師は、鏡の中の人を本当の人間だと書いた。

 ここに迷いがあるのですね。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9645/1395829838/376



したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」
も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。

        「会則の教義条項改正に関する解説」創価学会教学部

http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/

2021/12/8  8:46

投稿者:.
4976 Re:池田名誉会長は謝ったんですよ 沖浦克治 2003/05/24 19:13

(中略)

現在では創価学会員の唱えるお題目以外に力はありません。
広宣流布を推進しない団体の唱える題目には功徳はないのです。

http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/log/log50.htm

2021/12/8  8:10

投稿者:大沢克日子
>★大聖人が御入滅に先立ち、6名の本弟子を定めたのでその誰かに付け。
唯受一人ではなく、多受六人です。
二箇相承がこの時点で無かった事が明快に分かる文章です。
この文証だけで、日蓮正宗教義の全ては崩壊致しました。

・釈尊に十大弟子がいて、そのうちの一人に法を授けた。
この話だけで、沖浦さんの痴論は崩壊します。
伝教大師から義真、円澄と叡山を継いだように、また弘法あたりも付法の弟子と主要な直弟子を選定したように、他の仏教宗派でもその故事に倣っています。

若い頃教学を学んで創価学会教学部教授ならば、いくら現在送受信機と回路がすっかり壊れていても、少し経てば自らその事に気がつくのではないかと思って待っていましたが、駄目でした。

そして、釈尊の十代弟子にはそれぞれの弟子がいて、その弟子たちが居るのだから、付法の弟子とその他の主要な弟子の存在は、何ら矛盾するものではありません。

任用試験で初めて学ぶ仏教の歴史の1ページ目に書いてありそうな話ですが、日興上人等御歴代を貶めようとすると、そんな基本的なこともすっ飛んで、恥を晒してしまう。

頭の良し悪しというよりも、何としても日蓮正宗を貶めようとする一念が強すぎて、回路がショートしてしまったのでしょう。

御法門を論じる以前の問題ですな。
 
こんないい加減な人の話を鵜呑みにすると、大変なことになります。

2021/12/8  7:44

投稿者:.
>少々の文章理解力があるなら、これは簡単に読み取れます。

2021/11/27 7:54 投稿者:沖浦克治

 日蓮正宗にはお気の毒なのですが・・・・

 戒壇本尊だけ除外されています。

★会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の
対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安
2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。

 所説あるでしょうが、これは仕方ないですね。
 何しろ提婆達多と並ぶ大謗法人が法主でしたから・・・

https://white.ap.teacup.com/ganko/2942.html?b=30#comment

↓ 

したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」
も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。

        「会則の教義条項改正に関する解説」創価学会教学部

http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/

2021/12/8  7:43

投稿者:.
4928 広宣流布絵の取り組み 沖浦克治 2003/05/22 07:01

仏法の流れは大聖人様、日興上人、戸田先生です。
他の法主当の発言は参考程度でしょう。

このお三方の発言の内容を現代の社会の立場から依義判文をし、
正しく運用せねばなりません。

大聖人様の教えを唯一正しく現代社会の立場から依義判文され、
現実社会に適合させられたお方は戸田先生のみです。

不可能とも思えることを現実に成し遂げられ、現在の創価学会
の基盤を作られた功績はまことに大であります。

池田先生はその構想を引き継がれ、更に世界に大聖人様の仏法
を広め、将来の世界広布の基盤を作られました。

又その功績も大でありましょう。

これに引き換え現宗門や正信会の指導者の方々は、広宣流布に
どのような功績があるのかお伺いいたしたいと思います。

http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/log/log50.htm

↓ 18年後

2021/12/8 7:03
投稿者:沖浦克治
 皆様、おはようございます。

 嚴虎さん、更に心ある法華講員の方々へ伝えます。

 日興が何故ダメなのか?
 極めて簡単です。

たかが18年程度で、評価が一変する宗教ってwww

2021/12/8  7:38

投稿者:沖浦克治
 大儀・・・

2021/12/8  7:37

投稿者:.
>第二次世界大戦の時、

★鬼畜米英トールマン!! →スーパー戦隊シリーズのヒーローですか?

2021/12/8  7:24

投稿者:沖浦克治
 法華経で最も大事な事。

★ワクワクする事、させる事!!

2021/12/8  7:12

投稿者:沖浦克治
 愚論 大儀・・・

2021/12/8  7:05

投稿者:沖浦克治
 立宗〜律宗

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