2006/3/16

高度な政治的判断を必要とする問題?  
富士川氏より戒法門を引用しての適切なるコメントを賜わった。

はっきり言って戒法門は難解である。
わたくしはつい先日、拝読したけれども、わからなかった。また、昨年の六月七日にも拝読していて、その時の付箋には「難解。後の本門戒壇との関係不明」と書かれている。

しかしながら富士川氏の引用した冒頭の部分はひじょうにわかりやすいし、現代感覚ともよくマッチしているように感じられるのである。

例えば「他人の妻を犯さざる戒を不邪淫戒と名づく」などはいわゆる不倫のことを指しているように読めるし、「薬酒をば飲むべし」はいわゆる酒は百薬の長と昔から言われるけど現代ではマーモットとかいう人の研究で飲酒の効用が疫学的に証明されたというから、なるほど大聖人がお酒を御飲みになられていたのはけっこう合理的な意味があったわけである。このことがすでに御年二十二歳の御述作にあらわれているのだから、すごいことだと思う。

で、富士川氏の引用するごとく、道理なき殺生を制する、一を殺して万を生かす、などはまさに道理に適っているわけであって、わたくしとしても肯定せざるを得ないところである。

一切の諸戒の中の第一は不殺生戒

去年の暮れに書いたものである。

法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き給ふなり、・・・此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王、持戒第一の智者なり。

持戒第一の智者とまで仰せになられるわけであるから、ようするに破戒ではないということだろう。富士川氏の示すように、道理ある殺生を是認する御文と申し上げるしかないと思う。

問題はそのものズバリ、現代において謗法者をただちに斬罪に処すことができるのか、これについて考えないといけないのだがこれは難問だから今後の課題としたい、というのが以前の投稿だった。

そうすると、今回はいくらかでも論を進めないといけないだろう、がしかし、やっぱり難問であってなかなか先に進まないのである。

なお、今日のタイトルは自分で書いておきながら、意味不明である。

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