2006/3/25

入信報告書の問題  
わたくしはこれまで、入信報告書についての話題を書いたことがなかった。

別に取り立てて書くこともなかったし、そもそも顕正会においては入信の手続き上の問題以前に、折伏のあり方そのものに問題があるわけで、ゆえに摂折論にからめて書いたり、あるいは逮捕事件の折にそれに触れたことがあるけれども、報告書そのものについては今まで書いていなかったと思う。

すでによく知られているとおり、かつては入信願書だった。そして今は入信報告書である。
この違いは本人の署名・捺印を必要とするかしないかである。申すまでもなく、願書は本人の署名・捺印を必要とする。いっぽうの報告書は文字どおり報告書であるから、入信者の関知するところではなく、紹介者が必要事項を記入して組織に提出すれば報告完了となる。

そこで問題になるのが入信報告書の偽造である。
ようするに、入信勤行すら行わない、虚偽の報告がなされているのではあるまいかという、疑惑なのである。勝手にどこかの名簿から名前と住所を抜き出して報告書に記入してしまえば、それで折伏一名となる。あるいは名簿どころではなく、当てずっぽうに名前と住所をでっち上げて書いてしまうこともあり得るかもしれない。
・・・というようなことが、ちまたでは、いや、ネット上ではと言うべきか、囁かれているわけである。

しかし、どうだろう。
わたくしは顕正会員がそこまで腐敗・堕落(?)しているとは思えないのである。
その理由を少し書いておきたい。

これは入信願書の時の話だが、ある時に浅井先生が言っていたことがある。すなわち、かつて入信願書を偽造した幹部が二人いた、私はただちにこの者を除名したと。
ようは発覚したのが二名ということだろう、他にもいたかもしれないが、ともかくもっとも重い処分を下したわけである。
このことからすると、入信報告書においても同じ処分が適用されると考えなければならない。はたして除名を覚悟でそこまでする幹部がいるのだろうか? というより先生に申し訳ないとは思わないのか?

いやいや、それよりも上位概念があるはずである。
すなわち入信報告書の報告とは、最終的には大聖人に御報告申し上げる意味がある。大聖人御照覧の意味を顕正会の幹部が知らないわけがない。つまり、顕正会本部ないし浅井先生を騙しおおせたとしても大聖人には通用しない、それが御照覧ということなのだ。
それでもなお、虚偽の入信を報告するのであろうか?

自分のためにもならないし、広宣流布のためにもならない、いったい何の必要があってそのような馬鹿なマネをするであろうか?

結局のところ、体裁を取り繕うためであろう。
だが、しかし、それはあくまで当面のことであって、ゆくゆくは破滅の道をたどることになる。申すまでもなく、そんなことをしていたら組織の空洞化をなおいっそう助長するだけであって、最終的には自分の首を絞めることになるのである。

もし現実問題として、入信報告書の偽造がかなりの確率で行われているとしたら、もはや顕正会は絶望的と言わざるを得ないであろう。

2019/7/11  18:36

投稿者:めぐちゃん
先日、北東北大会ビデオ放映に北坂戸に行った時の事です。
真後ろの席の男性が『俺よ入信勤行4回した』等と話してるのです。述べ人数5人の入信に成ります!そんな実態直に聞いてしまいました。

2006/3/25  18:40

投稿者:富士川一郎
(つづき)
厳虎さんは
「すなわち入信報告書の報告とは、最終的には大聖人に御報告申し上げる意味がある。大聖人御照覧の意味を顕正会の幹部が知らないわけがない。つまり、顕正会本部ないし浅井先生を騙しおおせたとしても大聖人には通用しない、それが御照覧ということなのだ。
それでもなお、虚偽の入信を報告するのであろうか?」
と云われておりますが、このような認識を持っている会員が何人いると思いますか?少なくとも「入信報告書をどのように提出するか?その意義は?」と云うような指導を入信者に徹底していた事実は聞いたことは無い。つまりかなりの会員は報告書は本部に提出する事は分かっていても、大聖人様はもちろん、浅井さんにすら提出する事を知らない人の方が現在では大多数なんですよ。

2006/3/25  18:35

投稿者:富士川一郎
入信報告書の偽造について申し上げると、大多数では無かろうが、所謂自宅拠点ではたくさん行われているらしい。
会館ではそれは難しかろうが、自宅拠点では、例えば最終日にとりあえず、対象者の名前で出してしまう。そして翌月に一生懸命帳尻あわせに入信させる例は、昔からあった。もちろんその場合、翌月の方は報告書を提出しないので、人数的な誤差は出ないようにする(しかし、逆縁になる例もたくさんあるので、その場合目をつぶる事がたくさんあった)。それについて、某大幹部は「許されないことではあるが、先生にお答えしたいという熱情から来る事であり、気持ちは分かる」等と男子部集会で指導していた。

ですから、法の正邪ではなく、それを見て、あまりの馬鹿馬鹿しさに脱会し、後に法華講に来た方も少なからずいます。

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