2006/3/26

成果主義の陥穽  
昨日・・・ネット上では入信報告書の偽造が取り沙汰されることがあるが、わたくしには顕正会員がそこまで腐敗・堕落しているとは思えない、もし事実だとしたら顕正会もオシマイであろう・・・と書いたところ、情報通の富士川氏よりコメントを頂戴した。

大多数ではない、会館では不可能、だが自宅拠点ではけっこう行われている・・・というようなコメントである。また、わたくしが入信報告書の元意を大聖人に御報告申し上げることだと書いた件については、そのような認識を持っている会員はおらん、とのことだった。

柄ではないが反論を書いておこう。

拉致・監禁まがいの強引な勧誘がいまや顕正会のイメージとして定着しつつある、いや、すでに定着しているのかもしれない。顕正会にまつわる逮捕事件の大半が拉致・監禁容疑であることもそのイメージを強めていることだろう。
ようするに、入信報告書ではなく入信勤行に眼目がある、何が何でも経本と数珠を持たしめて御本尊の前に座らせなければならない、だからこそ拉致だの監禁だのということになるのではなかろうか? もし報告書に名前を記入するだけのことであったら、逮捕事件などは起こり得ないのではなかろうかと思うのである。

ただし、成果主義の弊害とも言うべきか、目的と手段に狂いが生じてきているようなフシがある。

目的のためなら手段を選ばないという言葉がある。これが結果としてえげつない勧誘行為にあらわれるのだろう。ここでの目的は入信勤行であり、手段は申すまでもなく入信勤行に到達するための方法・・・いわゆる折伏である。手段を選ばないのは問題だが、いちおうここまでは目的に揺るぎはない。

ところがである、成果主義が高じてくると入信報告書そのものが目的になってしまいかねないし、事実がそれを物語っていると思われるのである。

つまりは富士川氏の指摘するところである。
氏は事実を歪曲しているわけではないし、誤情報を流しているわけでもないのであって、入信報告書の偽造は確かにあるのだろうと思う。本来、入信勤行が目的であったはずなのに、成果主義に陥るといつの間にか入信報告書が目的となってしまい、入信勤行はそのための手段になってしまうのである。

さて、ここで問題である。
目的のためには手段を選ばない・・・すると、どうなるか?
いつの間にか入信報告書が目的化してしまっているのである。入信勤行は手段に過ぎない。だったら入信勤行など省略してもいいだろう・・・ということになりかねないのである。

もちろん極論である。富士川氏にしてもそこまでは言わないだろう。
ただ成果主義の怖いところは、せっぱ詰まると何でも有りになることだ。仏法上の道理はもちろんのこと、世法の上から考えても入信報告書の偽造を正しい行為だと思っている人はいないはずなのである。だが、現実には行われているわけであるから、それは成果主義の弊害と言う以外にないだろうと思う。

結局この問題は、会員個々のモラル以前に、顕正会の体質そのものが問われているのだろうと思われる。


モラル・・・宗教団体には似つかわしくない表現であるが他に適当な言葉が思い浮かばなかった。

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