2005/5/25

社会運動的見地  
基本的には浅井先生の主張を支持している・・・これがわたくしのスタンスである。
どうひっくり返したって、かつて創価学会が盛んに国立戒壇を叫んでいたことは疑いようのないことであり、政治進出の根拠でもあったのである。これは文証顕然である。そして世間からの批判の声が大きくなるにつれて国立戒壇をいわなくなった。その最終局面が昭和四十五年である。
こうした経緯がある以上、先生の御遺命守護の戦いは永久に不滅である。
いや、抹殺されんとした。そして今もなお、歴史を捻じ曲げるかのごとき浅井批判が渦巻いている。

世の中にはいろいろな事件・事故があり、そのひとつの問題だけに一生を費やす人もいる。世間は移ろいやすい。みんな過去のことは忘れていく。そうした中で、「この問題は風化させてはならない」といって、一生をささげる人もいるわけである。
先生もそのひとりである、といったら矮小化も甚だしいであろうか?

2007/8/10  21:08

投稿者:渡辺雄二
 現在と違い、初期の巌虎氏のコメントには実直な感想が多い様に思える。
 私が謎としていたもう一つの「顕正会への執着の理由」もここで判明した。かつてはこのコメントを読み、自らもコメントを残していたが、記憶からはすっぽりと抜けていた。
 巌虎殿は国立戒壇に固執しているのであった。
 しかし、「国立戒壇」は代名詞である。実名は「本門事の戒壇」である。「本門寺本堂」と言っても良いであろう。
 これに理解が及ばないのは拙いとの感想を述べざるを得ないのである。

http://www.geocities.jp/shimono_masanobu/

2006/1/18  13:37

投稿者:下野正信
ブログのはじめではなく、5/31のブログとの矛盾であった。読み違いを訂正したい。

2006/1/18  13:30

投稿者:下野正信
さて、自語相異という言葉をご存知であろうか。貴殿のブログのはじめの言葉とまったく異なるものである。「日蓮宗は二枚舌」とよくいわれるが、まったく以ってその通りである。
大石寺から見れば浅井一派も身延も同列であることを念記しておく。

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