2005/5/26

邪義破折班文書の感想  
若手僧侶の中からこうした動きがあることは日蓮正宗も捨てたものじゃない、ということのあらわれかもしれないし、逆に言葉遣いの荒々しさがマイナスイメージを助長するだけかもしれない、とも思う。
今のところは、正信会や創価学会、そして顕正会を相手にしているけれども、まったくの他宗・他門から日蓮正宗攻撃が大々的に行われるような・・・まあ、その可能性は少ないように思うが、ともかくその時には同じ面々が破折を担当するのであろうか、という心配がある。ようするに頼りにならない、というのでなくて、あまりにも言動が過激に思えるのである。

顕正会破折はわたくしの知らないことがいくつもあった。例えば、試練と忍従の歴史という、わりと浅井先生の心情がストレートに書かれたものがあるわけだが、これに都合の悪い文言をうまく切り取ってある箇所があるのだ。いま書いたように先生の心情がストレートに表現されていると思っていただけに、あのような意図的な切り文はひじょうに残念である。
わたくしには大して都合の悪い文言とは思えない。むしろそのまま出すべきだったと悔やまれる。

2007/8/10  21:01

投稿者:渡辺雄二
 この項において、巌虎殿は「試練と忍従の歴史」について触れている。
 しかし、「試練と忍従の歴史」には二種類存在しているのはご存知であろうか?一つには「妙信講の歴史にみる『試練と忍従の歴史』」であり、もう一つは「顕正会の歴史にみる『試練と忍従の歴史』」である。
 前述の「妙信講の歴史にみる『試練と忍従の歴史』」には問題文章が散見されるが、「顕正会の....」ではそれらが削除されている。
 特に酷いのは「退転者の屍(しかばね)を乗り越えて」という文である。これは、「顕正会の....」では削除されている。
 我が日蓮正宗で退転者を「屍」などと言おう者なら大問題である。無慈悲であるからである。
 しかし、その出処が面白い。
 戸田創価学会第二代会長の「青年訓」なる文書に出てくるのである。戸田氏の足跡を見ると、浅井はこれに憧れを感じていたことが良く分かる。
 此のことについては拙著「顕正会のいうこともこんなに間違っている」で多分に指摘していることであるから此処ではこれ以上いうまい。
 創価学会と顕正会では、退転者は「屍」なのであり、救う対象ではないのである。

http://www.geocities.jp/shimono_masanobu/

2006/1/18  13:27

投稿者:下野正信
「たとえ若輩たりと雖も...」日興上人の御遺誡を知らぬわけではあるまい。在家信徒にもあらざる門外漢が御僧侶の文筆に意見するとは笑止千万である。重箱の隅をつつくようなブログは貴殿の恥を晒すだけであろう。

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