2006/10/27

崑崙山や蓬莱山のごとき掲示板はあるのか?  
昨日の拙稿に対して、富士川氏からコメントがあった。

http://diary.jp.aol.com/ganko/540.html#comment

懇切な説明をありがたく思うが、文末の「創価学会の寄進は案外少ない」については意見の分かれるところであろう。創価学会員にしてみれば、何たる言い草かと思うに違いない。御供養はその多寡ではなく真心にこそ価値がある。しかし、また逆に、だったら創価学会員も過去の御供養をとやかく言うべきではないのだ。結局のところ、今頃になって正本堂の御供養を返せだの何だの言うのは、御供養の精神がわかっていなかったことを、みずから証明しているようなものだからである。

顕正会では正本堂の御供養を返せとは言わない。それどころか妙信講時代に正本堂の御供養に参加していたことを今は言わないのである。
このことを批判者たちは都合が悪いから口をつむっていると思っている。しかし、わたくしは違うと思う。御供養はヒケラカスべきことではないのである。

創価学会のミットモナイところはここにあると思う。いつまでも未練たらしく言うべきではないのだ。
その意味で、ズラ系氏のコメントは迫力があった。きっぷがいいと言うべきなのか、ともかく三百五十の数字を挙げはしたものの、それにはこだわりがないことを表明しているわけである。

http://diary.jp.aol.com/ganko/538.html#comment
http://diary.jp.aol.com/ganko/539.html#comment


さて、茶寮掲示板に目を転ずると、数日前から激しい応酬が繰り返されている。

少し前に戒壇論、とりわけ事と義の定義について議論がなされていた。その結論はどうなったかのであろうか?
よくわからないが、いったん停戦ということかもしれない。
そして今回は戒壇論ではなく、その他もろもろのことが議論されているようである。しかし、どうも議論が拡散してしまって、まとまりがなくなっているように見える。わたくしの思うに、これでは宗門対創価学会のいつまで続くかわからない不毛の議論と変わりがないであろう、何とかならないものかと思う。

S23年、当時、東京妙信講 浅井甚兵衛先生は 日蓮正宗 宗報 に「客殿建立と焼失した信心建立」と題して
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。信仰心の建立を第一に、また信仰の道場建設は我々僧俗の一大責務であると同時に急務である。(略)
と記されています。

「宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。」
「社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点」

当時、宗報にこの論壇を掲載しているのは、この意見は妙信講一講中の講頭の意見ではなく宗門としての公論、「開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点」との認識に基いているものです。
現在の宗門も宗史を悪戯に正当化、美化するのではなく、宗祖の御訓戒に基づいた自己反省がなければ権威主義的な組織に陥ってしまうでしょう。


sonic氏の文章を勝手に転載させていただいた。
掲示板の中に埋もれさせてはもったいないくらいの貴重な投稿だと思う。いや、もちろん、茶寮二階は恒久的な掲示板であるから、消えてなくなってしまうわけではないのだが、しかし、掲示板はどうしたって玉石混合にならざるを得ないので、たとえすぐれた投稿であっても埋没してしまうのである。
そこがひじょうに残念なので、勝手ながら転載させていただいたわけである。

わたくしがヘタな解説を加える必要はないだろう。

ゆえに違ったことを書いておくが、文中「大客殿」とあるのが注目されるところである。実は浅井先生の「試練と忍従の歴史」においても「大客殿」との記述がある。そして先年の対決申し入れ書においても「大客殿」となっている。

わたくしが何を言わんとしているかは、知る人ぞ知ることであろう。

2006/10/29  0:40

投稿者:ヅラ系
ウィンズさんに質問があるのですが、私は携帯ですが、ウィンズさんの手抜き云々のコメントが消えてますので、まずご供養金を管理した学会の処置と、池田の慢心が手抜きとはどおいう事で繋がるのか、次に学会のご供養の半分以下しか、寺院建立に使われていないとはどおいう意味か、つまり学会員が、学会に寄付したなら、それをどお使おうが文句を言われる筋合いは無く、それとも学会が宗門にご供養した半分以下しか、宗門は寺院建立に使わなかったのか、正本堂建立も同様との事ですが、昭和四十年十月九日より十二日までの四日間、全国一斉に御供養し、正本堂建設資金三百五十五億余円が集められました、内訳は、学会が三百五十億六千四百三十万円、僧侶、寺族一億五千七百八十七万円、法華講三億千三百八十二万円、これを金融機関に預け得た利息が、百三十二億四千七百六十四万円、学会が三百五十億以上御供養したことは、公式記録に明らかであり、半分以下とは七百億以上、学会に集まったという事か、しかし半分以下しか(三百五十億)宗門に出さなかったという根拠は何か、だとしても文句言われる筋合いがあるのか、それとも宗門が三百五十億の半分以下しか使わず、後はごまかしたということなのか、ついでに妙信講、昭和三十七年七月、法華講連合会発足に、浅井親子は加入せず、登山出来ずにいた、三十九年七月二十九日、浅井甚兵衛は、法華講連合会平沢益吉会長に、「純真な妙信講員は権力によって登山を差し止められたならば、血気さかっておる講員はいきり立って血を見る様な事態が起こらぬとも限らぬ」と威嚇し、益々連合会所属を難しくしていました、四十年十月の御供養受付の四日間、宗門は妙信講の御供養受付は拒否しています、浅井親子は学会の御供養のあまりの多さに仰天したそうです、その後妙信講は特別に柿沼広澄総監(当時)に御供養を受領してもらい、金額は八百万円と言われています、年月日は、はっきりしませんが、四十四年八月、浅井昭衛が大喜びで、御供養が受領され、猊下から袱紗をもらったと発表してますので、四十四年七月から八月頃でしょうか、それからわずか七ヶ月後の四十五年三月、妙信講の、正本堂は事の戒壇にあらず、という主張が始まります、浅井親子の威圧的態度に、細井管長はじめ、宗門の姿勢が余りに弱腰で、後々まで問題をややこしくしていきますが、今日はここまでにします。

2006/10/28  19:15

投稿者:ヅラ系
私個人はご供養などどうでも良く、又、学会のご供養返還の事自体良く知りません、しかし学会員をみっともないという感覚がわからない、同じ学会員だからと言われればそれまでですが、理由は、まず、宗門が学会を破門にした事実、宗門が本当に正しいなら、この時学会からのご供養はのしを付けて突っ返したはず、宗門及び法華講は、謗法の供養は受けないという大前提がありながら、供養は返さないが、学会は謗法と言う、この自己矛盾を明確に説明出来ない供養を返さないなら、学会を謗法とは言えない、それとも宗門は、学会の謗法は、破門の後だとでも言うのか、だったらなぜ破門に出来るのか、又、管理人さんの、正本堂建立のご供養に関しての見解には首をかしげました供養した顕正会員に何故謗法の正本堂に供養させたのか説明する義務がある筈、浅井親子と当時の執行部の責任問題だからそれはできない、又、返還要求は同時に、正本堂が謗法では無いことを認めることになる、結局だんまりを決め込むしかない、それをご供養の精神とは笑止、譲ってご供養の精神だとしてもそれも実は正本堂が謗法では無いことになる供養と苛めの問題はリンクします、自殺に追い込まれる程苛められても、学校に行かなきゃならない子供達、しかし学校側は、子供達が、安心して通える学校にしなければならない義務を果たしていない、義務を果たさない学校に、行かなきゃならない義務は無い、供養はそもそも義務ではない、権利でもって供養し、される側はされる事により生じる義務を果たして、初めて権利を主張できる、現宗門のみならず、学会破門前の宗門にも、供養を受ける権利は無い、宗門こそ、惨めったらしく、哀れだというのが、正常な感覚といえる、それを、学会がみっともないとは、恐れ多くも御本仏大聖人の大慈大慈の御心の、ほんの一分でも、我が心に出来るのなら、霊山において、どの面下げて御本仏に御目通り出来るのか、何故大聖人が、御手紙の最初に、ご供養のお礼を書かれるのか、と、管理人さんに質問した意味が、解っていただけましたか?

2006/10/27  19:12

投稿者:ウィンズ
日恭上人が焼死なされた事や客殿焼失の件で当時の宗報では確かに「これは宗門全体の罰だ」といくら軍部の圧力があったとはいえ、宗祖に違背したが故の罰であると認めている文言があります。但し、当時の宗報や大日蓮は宗門発行の公的な機関誌ではなく、同人誌のようなものでした。もしも当時、諌暁と称して国家権力に歯向かえば、猊下は殺され、戒壇様も奪われていたのです。原爆が落ちたのも宗門に神札を受ける事を強制した国家そのものが受けた罰であると思います。金沢法難然り、数多の法難の歴史を見れば、時の猊下が命賭けで宗門をお護りするために苦渋に耐えて巧善方便で時が来るのを待たれていたかが分かるでしょう。顕正会の人達は浅井先生の話等から、どうも独自の宗門観を持ってこうあらねばならないとか、こうでなければいけないとか勝手なイメージを作り上げてるようですが、富士川氏の言われる通り大石寺信徒からすれば、だいぶんズレがあるようですね。

2006/10/27  18:38

投稿者:トチロ〜
厳虎さん、こんばんは。

>少し前に戒壇論、とりわけ事と義の定義について議論がなされていた。その結論はどうなったかのであろうか?
よくわからないが、いったん停戦ということかもしれない。

停戦じゃありません。次の一手を打つための思考中(準備中)です。BINさんのご親切に甘えて時間を頂いておりますが、着々と準備は進めております。

しかしながら、実際にこの問題を解明しようとすると非常に困難な作業の連続なのです。理由は、まさしく↓↓↓の富士川さんの仰せのとおりなのです。

御法主上人猊下にしか知り得ぬ内容を私達在家が勝手に付け加えたり、または削除したりすることは許されません。換言すれば、過去から現在に至るまでの御歴代御法主上人猊下の御指南の範囲内で論を構築せねばなりません。

これは逆に顕正会側にも言える理屈だと思います。

戒壇論を論じるのは結構なのですが、あくまでも道理の通った文証を示し、勝負を決しなければならないと思います。

BINさんへのお返事が書き上がりましたら、私のブログにアップしますので、是非、厳虎さんのご意見も頂戴したく思います。

2006/10/27  13:10

投稿者:富士川一郎
顕正会と宗門の違いは、戒壇論ではありません。
戒壇論など単なる枝葉です。
根幹は「唯授一人の秘密相伝」です。

実は顕正会は“御相承の断絶”を言おうと言うまいと「戒壇について御当代の御指南」を否定した時点で「血脈相承」は否定しているのです。

唯授一人・・・唯一人にのみ相伝されたのが「三大秘密の法」であります。
三大秘法とは「本尊」と「戒壇」と「題目」です。
戒壇もその中にあります。その中身は、秘密相伝でありますので、在家はおろか御法主以外の御僧侶にすら分かりません。
「現今の戒壇の事義」についても、一時的な御指南かも知れません。
つまり「唯授一人に秘密相伝された事」を“信の一字”で受け止められるか、“不信”になるかの違いであります。

戒壇の意義については唯一人にのみ秘密相伝された事であり、それ以外の僧俗はその一部を漏れ聞くことが出来るだけです。それをその時の僧俗の機根に合わせて、御法主が少しずつ御指南していく・・・その御指南をその時その時の真実として拝していく。
これが富士の信仰の伝統であります。

戒壇論等という、相伝者にしか分からない部分を不相伝が勝手に論じて、それを否定する者は、単に“血脈否定者”です。

戒壇義などは「枝葉」です。根本は「血脈相承」です。

2006/10/27  12:08

投稿者:aono
宗門と顕正会のあいだでは、他の事は論議せず、戒壇論のみを論議し、正邪を決していけばよいと、顕正会の某先輩が仰ったとのことです。

確かに、僕も戒壇義が根本の相違点だと思います。宗史に関する事など、色々とありますが、この根本の戒壇義についての議論がもっと、多くの顕正会員や法華講員、学会員等が参加して議論できるような場があればよいかもしれませんね。

ことに、学会員や正信会員などは今や、御遺命の戒壇とは何かということについてすら、まったく論じなくなりましたから。どういう戒壇が大聖人様御遺命の戒壇なのか、学会や正信会が考える戒壇義も聞かせていただきたいと思っております。

いわゆる、学会版、正信会版の戒壇義ですね。事と義の開き方など。

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