2006/10/28

立正大師って誰?  
各方面からコメントが寄せられて、何をどのように書いていいものか、判断に迷うところである。

ズラ系氏には丁重なる回答をたまわった。と同時に導師本尊について、逆にこちら側が質問を受けるハメになってしまった。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/372.html

この導師本尊シリーズは全十回あるようで、いちおうはざっと全部に目を通してみた。途中の難しいところはかなりすっ飛ばして読んでしまったが、まあ、おおよそ文章の大意はつかめたつもりである。
現時点では回答ないし感想を保留したいと思う。
わたくしの手に負える問題ではないのである。富士川氏のコメントを借りれば、これこそ秘密相伝なのであろう。であれば、わたくしごとき一在家が答えられるわけがないのだ。
リンク先では十王讃歎抄のことが出て来る。ようはこれを偽書であると断定しているわけである。平成新編でも真偽未決として不掲載にしているので、宗門でもかなりアヤシイと思っているのであろう。
ところが顕正会では折伏理論書にこれを引用している。また、おそらく儀礼室・・・すなわち顕正会で葬儀を執り行なう際の担当部署であるが、儀礼室では現在も導師本尊を奉掲して葬儀を行なっているはずである。

以上で導師本尊のことは終わりにさせていただきたい。

それから他のコメントについては、失礼ながらお返事を省略させていただくことにする。

さて、今日は立正大師問題について、わたくしなりの視点で申し上げたいと思う。

茶寮掲示板での議論でもこのことが取り上げられていたけれども、わたくしに言わせればどっちもどっちである。宗門を批判するためにこれを持ち出すのはどうかと思う。また、宗門側の反論も言い訳めいていて感心できない。

弘法大師 の検索結果 約 1,080,000 件
伝教大師 の検索結果 約 105,000 件
立正大師 の検索結果 約 46,400 件


たった今、グーグルにて検索した結果である。もはやこれ以上の説明は必要ないと思うが、どうだろうか?

もしヒマならば、「お大師さま」でも検索してみるとよい。お大師さまといえば十中八九が弘法大師すなわち空海のことである。
もし立正大師をよしとするならば、大聖人さまではなく大師さまとても呼ぶべきであろう。しかし現実には、日蓮大聖人を大師さまなどと呼ぶ人はまずおるまい。これこそ有名無実というものである。
そもそも「大聖人」と「大師」ではどちらが上位概念なのか・・・わたくしは「大聖人」だと思う。ゆえに大師さまとは誰も呼ばないのである。

面白いことに気がついた。

大聖人御自身は、弘法大師・慈覚大師・智証大師などを、いわゆる佐前佐後にかかわらず、大師と呼称しているのである。それぞれ空海・円仁・円珍という名前があるけれども、御書検索を使って調べてみればわかる・・・大聖人は彼らを大師号で呼ぶ場合が圧倒的に多いのである。

どこぞの在家団体では、ある時期まで日顕上人を阿部管長とお呼びしていた。ところが今は呼び捨てである。これはどうしたことであろうか?

それはともかく、大聖人が悪真言の三大師を大師号で呼び続けたことは、朝廷の権威の軽からざることを証明するものかもしれないと思う。

2006/10/28  15:28

投稿者:ウィンズ
コメントが昨日と重複して申し訳ありませんが、私が手抜き云々と申したのは、学会員の供養に対してケチを付けたのではなく、御供養金を管理した学会の処置と池田の慢心に対してです。学会員のそういった真心の御供養の半分以下しか寺院建立に使われていない事実をご存じですか?これは大きくは正本堂の御供養の時もそうです。それと導師御本尊の件は下記を参照して下さい。http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/em1612b2.htm学会員はよく地蔵十王経が偽作だと言いますが、聖教新聞社刊の『生死一代血脈抄講義』には、大聖人は『地蔵十王経』をふまえて『生死一代血脈抄』を著わされたのだとしている。しかも、現在の学会側が完全否定している『地蔵十王経』の内容自体をも肯定しています。「五道冥官」というのはどこにもないと言いますが、「戒法門」という御書の中に、ちゃんと「五道ノ冥官」との記述があります。大聖人御真筆の導師本尊が現存していないのをいいことに、導師本尊は後世の偽作だ、としているようですが、『富士一跡門徒存知事』には、「上の如く一同に此の本尊を忽諸し奉るの間、或は曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り、或は又沽却する輩も有り。此くの如く軽賤する間多分は失せおわんぬ」(御書一八七二ページ)とあるように、多くの大聖人御真筆の御本尊が喪失していることは紛れもない事実なんですから、大聖人の顕わされた導師御本尊が絶対になかったとすること自体、あまりにも早計というべきですね。私が学会の友人葬が絶対に間違いだと確信する根拠は、自分の父親の凄絶なる臨終の悪相の現証を見た事によります。真冬でドライアイスと死化粧を施しましたが、二日目には全身に黒い斑点が出来て、耐えられない悪臭がし出したのには驚きました。導師を勤めてくれた学会幹部は何と翌月急性白血病で亡くなりました。逆に日蓮正宗での葬儀に参列した時の故人の御金言に寸分違わない半眼半口の真っ白な臨終の相を私は二回確認しております。これは紛れもない事実です。これらは何を意味しているのでしょう?一切は現証にはしかずです。

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/em1612b2.htm

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