2006/12/25

日蓮本仏信者  
瑠璃堂さん、どうもです。

フローリングはわたくしの脚色でして、板敷き、もしくは板の間と聞いたと思うのですが、現代ではフローリングのほうが通りがいいと思いまして、そのように書きました。
先生の開目抄講義・・・そうでしたか、ちょっと、わたくしの記憶にはないですね。
自分が顕正会員になったのは十一月のことでして、今でいえば一年の締めくくりの最終法戦だったわけですね。その翌月が教学推進の月であり、年明けには教学試験が待っているわけですが、当時はわけもわからずに顕正会の流れの中に入っていったのです。
ゆえに、例の話はわたくしを折伏してくれた人から聞いたのが最初でして、あたかもその人自身の経験を語っているように聞こえたのでした。ところが他の人も同じ話をしている・・・これはどういうわけだろうってことでしたが、なるほど浅井先生の口真似をみんながしていたわけですね。
今になってみれば、たいていのことは先生の口真似であって、顕正会幹部にはオリジナリティがないってことをわたくしもよく承知していますが、当時は気がつきませんでした。
逆に、この経験則からすると、右も左もわからない新入信者はそれ相応に感動する仕組みになっているのではないかと・・・特に若年層がそうなんでしょうね。ちなみにわたくしも当時はまだ未成年でした。

さて、昨日の続きというわけではないが、やや関連がある話題を書こうと思う。

日蓮本仏論の後に、曼陀羅正意を論ずべきで、観心本尊抄における「本師の娑婆世界云々」を文証とし、本師たる日蓮大聖人の直上に宝塔(南無妙法蓮華経)が無い本尊は未究境であり、文永から弘安期にかけて除々に「日蓮」との御名と「花押」が近づいて弘安期になると宝塔と日蓮との御名、及び花押が一直線になり、はじめて観心本尊抄の御文に依る本尊が現出するのである。

これは法太郎氏の文章のごく一部を引用させていただいたものである。
彼は現在、石山太平記なるものを連載しているが、ひじょうにマニアックな内容である・・・いや、というか、わたくしにはかなり難解なテーマであって、実はほとんど読んでいないのである。はっきり言ってトッツキニクイのだ。
まず、大正時代の資料が原文で出てくる、すでにこれがわたくしには読めないのである。日本語にもかかわらず読めない。なぜなら旧字体だからである。慣れていないものだから、通読することすら困難なのである。これではお話にならないだろう。
そして、必ずしも書かれている内容というのは、後世のわれわれを想定して書かれているわけではない、私信みたいなものは背景などもじゅうぶんに理解していないと意味がつかめない、そういう資料もたくさん出てくるわけである。
さらには教学上の問題などが絡んでくるものだから、わたくしのような初級者には何がなんだかサッパリわからないような状態なのである。

つくづく思うことは、法太郎氏は他の追随を許さない仕事をしておられる、並みの人にはとうていマネのできない、ひじょうに困難な作業をしているのであろう・・・と。
少なくとも並の法華講員にはできないことである。なぜならば、彼は御歴代上人すらも批評の対象にしてしまっている・・・もちろん批判ではないが論評してしまっているのは事実であろう、普通なら一在家のブンザイで怪しからんと一喝されてオシマイのはずなのである、それが彼の場合は通ってしまうのだから並ではない。
また、ひと頃のような掲示板での悪ふざけをしなくなって、ひたすら研究に専念している姿勢がコウゴウしい・・・神々しいと書くとマズイかもしれないので、コウゴウしいとしておくが、ともかくこれもまた常人とは一線を画すところだろうと思う。

で、上掲の引用部分であるが、なるほどこういう拝し方ができるとは知らなかった。

本師の娑婆の上・・・は、まさに御本尊の為体・相貌に見事に符合する。なるほど、日蓮在御判と御題目との関係が直下・直上であるものを究竟とすることは、本尊抄に基づくことだったのである。

問題はここでの本師を大聖人と同定するまでのプロセスである。

当然に釈尊のことだと主張する人たちがいるわけで、これをクリアするのは簡単なことではない。わたくしのような日蓮本仏信者にとってはまったく問題ないのだが、そうではない人たちをどこまで納得させられるか、それが大問題なのである。

2006/12/27  17:34

投稿者:れん
異流儀蛇の足。
身延の学者で二箇相承を認めた云々は風聞に過ぎないと思います。私は寡聞にして存じません。ただ、北山本門寺では今の貫主の代になり、二箇相承を法要かなにかの席で読んでいるようです。先代の片山師は身延系の方でしたから、二箇相承は読まなかったのでしょうが、今の本間師は興統法縁の方ですから、自然に自山の伝統・相伝を重んじられているのでしょうね。
日蓮本仏観ですが、これは興門でも、いわば目師門流の伝統法義の様です。郷師の弟子日叡が記した“類集記”には蓮師は主師親の三徳と戒師・定師・慧師の六義を具するとし、上行菩薩を「因の所に果を具す」と定義しています。蓮師自身晩年諫曉八幡抄において釈尊を相対化して自身が末法の教主であることを示唆してますので、まあ、これは目師が最晩年の蓮師の御自覚を伝えたものといえるかもしれません。もっとも、相対化といっても釈尊を脱仏・蝉の脱け殻と下すのではなく、釈尊・上行同体本仏を前提とし、滅後末法は釈尊は霊山に隠居し、蓮師が末法の教主として五字をもって一切衆生を救済するということだろうとは思います。

2006/12/26  18:30

投稿者:れん
たまには異流義を書きましょう。私自身は二箇相承は疑書と見ています。私の所見は以前富士門流信徒の掲示板に投稿しました。ただ、身延三世日進が「上野白蓮阿御房はもと身延澤の主たり」と蓮祖滅後、身延澤=久遠寺の貫主を継承されたのは興師であることを明言しています。ですから、蓮祖から興師へ何らかの譲り状の類があってもおかしくないのですが、現在の二箇相承は室町中期(応仁年間)に突然北山本門寺に御真筆ありと出てくる文書ですので、直接的には北山が自山の正統性を主張するため作成した文書の可能性が高いでしょうね。なお、蓮祖が事相の「本門戒壇」の建立する意志があられたことは身延曽存御真蹟の「取要抄」に明らかですし、興師が迹門の戒壇たる比叡山に相対して、事相の「本門戒壇」建立の地を富士山に選定されたことは“本門弘通事(真筆)”“三時弘経次第(写本)”に明らかですから、資料としては扱い辛い二箇相承無しでも、興師の身延貫主職・富士戒壇論を論証することは可能ですね。

2006/12/25  20:39

投稿者:ウィンズ
本当に管理人さんの仰る通り、釈迦本仏論者を納得させるのは、並大抵のことではありませんね。2ちゃんねるなどを見ても、彼らは非常に良く研究しているのが分かりますね。しかし、近年、身延派の学者の中には二箇相承書の存在を事実として認め始めてる人もいる様です。

2006/12/25  19:31

投稿者:瑠璃堂
先日のログを読み、はじめは会長指導を忠実に伝承する姿を微笑ましく(?)想像しましたが、例の話を“会長指導”とした上で、板の間→フローリングに置き換えたのなら何ら問題はないでしょう。巖虎様の意図も理解できます。しかし、過去にその指導を聞きながら、そっくり自分の体験として語ったとすれば、立派な盗作、詐欺ですよね。実は同じような幹部が過去におりまして、奇遇にもそやつが「フローリング」とのたまっていたのです。まさか同一人物ではないでしょうけど、一転「これはもしや?」との疑惑にシフトチェンジしたのです。

ちなみに私の開目抄受験は平成の初めでした。私の間違いでなければ、浅井会長はそんな洒落た(?)語句は使われなかった。仰るように、せいぜい「板の間」「板敷き」「床板」「床」でしょうね。しかしながら近年、幹部らによってそこだけ外来語に変換されて流されている可能性は十分に考えられますので、だとするとカッコ内の語句は会長の言葉といえども、とっくに死語なんでしょうな。

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