2005/5/28

宗門の失策?  
今頃どうこう言ってもしょうがないが、妙信講が昭和四十八年に「御登山御内拝」を願い出た時に、宗門側はこれを許可するべきだったのではあるまいか?

ようするに、これが実現していれば、「顕正会はかつて正本堂に参詣しているではないか」というツッコミを入れることができたわけである。
正本堂の御供養以上に苦しい弁明(?)を先生はしなければならなかったはずなのだ。

というよりも、悪い言葉で言えば「金を握らせる」・・・いや、もっと適切が表現があるだろうけど、さしあたって思いつかないので、・・・ともかく、顕正会は一度たりとも正本堂に入っていないわけであるが、もし先生を先頭にして一度でも入っていれば、その後において「正本堂の誑惑」ということはなかなか言い難かったのではあるまいか、と思うわけである。

もっとも三十年後の今日を想定して手を打てる人はいないだろうが。

2006/1/18  13:18

投稿者:下野正信
はじめまして、といえばよいのだろうか。それとも拙著を愛読頂きありがとうございます、といえばよいのだろうか。いずれにしても小生の著述について意見をいただいているようなので、貴殿のブログを2005年5月分(これが最初と思われる)から順をおって読ませていただいているしだいである。その上で、私の意見を述べさせていただきたい。
 まず、本項における貴殿の意見にはあきれてしまいます。戒壇之大御本尊様に対する信なき輩に内拝を許さなかったことは当然なのである。
 戒壇本尊並びに血脈の当処、すなわち御法主上人の御内証は一体不二なのである。
 したがって、日達上人の仰せを信受できない輩は、御戒壇様に目通りかなわぬのが道理である。
 戦略などを引き合いに出すこと自体がまったくセンスがない。信がないといえよう。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ