2007/7/29

派生団体  
http://diary.jp.aol.com/ganko/451.html#comment

渡辺氏より、法体と修行の混乱、というご指摘をたまわった。しかしながら、愚鈍のわたくしには、よく理解できない。
別の話になるが、かつて浅井先生は御書講義において、法体の肝心は寿量品、修行の肝心は不軽品、と言っていたことがある。釈尊の出世の本懐は人の振る舞い・・・云々の講義だった。

沖浦氏より、お返事をたまわった。

http://diary.jp.aol.com/ganko/817.html#comment

まず、日達上人の追善供養に関しては、さすがは沖浦氏であると思う。なかなか並の創価学会員にはマネのできることではないだろう。ただし、あたかも戸田会長の墓参のついでみたいな感じがするので、これはケシカランことだと言いたい・・・・が、しかし、そこまで言ったらキリがないのでやめておこう。

ちなみに浅井先生によれば、御歴代上人へは追善供養ではなくて報恩謝徳が正しいのだそうである。ゆえに、大石寺蔵版の観念文にある三師供養はおかしいとして、顕正会版では御報恩と書いてある。
しかし、いわゆる如在の礼という意味では、まさしく大聖人以下歴代上人に御供養申し上げる精神をあらわしているわけだから、それほどおかしくはないだろう。
この辺のことは、法華講員のほうから何かしらのご教示があるかもしれないので、それを期待したいと思う。

 貴方は大聖人様の仏法に無知です。
 特に御本尊様の事にはさっぱり理解がありませんね。

 馬鹿馬鹿しいですね、何故オシマイなのですか?

 顕正会は日蓮正宗の下部組織なんですか?


沖浦氏のコメントから、一部を引用させていただいた。

わたくしが無知であって、とりわけ御本尊についてはまるで理解できていない、というのは確かにそうなのかもしれないが、しかし、はっきり言えることが一つだけある。すなわち、顕正会は日蓮正宗の下部組織である、ゆえにオシマイだということなのである。
いや、もちろん日蓮正宗側に言わせれば、顕正会はすでに破門になっているので宗門とは無関係である、ということになる。それはわたくしだって、承知しているつもりである。
ところがである。日蓮宗の関係者の中には、顕正会のみならず創価学会すらも同じ日蓮正宗系統として、ひと括りに見ている人もいるのである。
つまり、しょせんは派生団体であり、この歴史的事実は動かしようがない、ということなのだ。

ゆえに、これらの諸団体には必ず大石寺回帰願望がある、なければおかしい、とわたくしは思っている。おそらく沖浦氏はいつまで経っても納得しないだろうが、わたくしはわたくしでこの結論を変更するつもりはまったくないのである。

よって、この問題はいくら議論しても時間のムダであろう。

2007/7/30  8:35

投稿者:渡辺雄二
>浅井先生によれば、御歴代上人へは追善供養では
>なくて報恩謝徳が正しいのだそうである。ゆえ
>に、大石寺蔵版の観念文にある三師供養はおかし
>い
 とのことでありますが、供養とは、供給奉養の義でありまして、報恩のために行うことであります。 それは、末法下種三宝尊にも当てはまりますし、物故者にも当てはまるわけであります。
 したがいまして、浅井会長の己義よりも管理人殿の所感の方が正しいということになります。

http://www.geocities.jp/shimono_masanobu/

2007/7/29  22:06

投稿者:渡辺雄二
管理人殿
>浅井先生は御書講義において、法体の肝心は寿
>量品、修行の肝心は不軽品、
厳密にいうと、迹門の中心は方便品、修行相は安楽行品。本門の中心は寿量品、修行相は不軽品です。
 如説修行抄に「法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめおとして法王の家人となし」とありますが、「法華折伏破権門理の金言」は法体の折伏を指し、「終に権教権門の輩を一人もなくせめおとして法王の家人となし」とは修行における折伏を顕わしています。
 すなわち、法華経の開経である無量義経において「四十余年未顕真実」とし、法華経方便品において「正直捨方便」と説かれたことで、正法は法華経のみとなりました。これすなわち、「法華折伏破権門理の金言」であります。また、、「終に権教権門の輩を一人もなくせめおとして法王の家人となし」とは日本国における折伏行をさしている、すなわち折伏の修行を顕わしているのであります。
 また、余国においてたとえ「もっと良い教えがありますよ」と摂受の形で正法に縁させたとしても、法体そのものが折伏でありますので、「折伏にあたる」ともいえるのであります。

http://www.geocities.jp/shimono_masanobu/

2007/7/29  17:49

投稿者:沖浦克治
>あたかも戸田会長の墓参のついでみたいな感じがするので、

 当然ついでです。
 戸田先生と並び立つお方は大聖人様だけです。
 たかが法主程度と、同次元で論じる事すら恐れ多いですよ。

 私は達師に恩があります。
 拙宅御安置の御形木様を書写して頂きました。
 当然、父と達師でそのやり取りは終了しておりますが、遺族として一言お礼を言おうと思いました。
 それで、耕治とともにお題目を三唱した次第です。

>日蓮宗の関係者の中には、顕正会のみならず創価学会すらも同じ日蓮正宗系統として、ひと括りに見ている人もいるのである。
つまり、しょせんは派生団体であり、この歴史的事実は動かしようがない、ということなのだ。

 この考え方が、仏法の基本から大きく外れているのです。
 この論が正しければ、蓮祖は釈迦を超えられません。
 日蓮正宗は天台真言に劣ります。
 どうしようもないほどの駄愚論ですね。

 子供はね、親を超えてこそ一人前でしょう。
 もし、子供が親より身長で一ミリ小さいきまりなら、人類は今頃跡形もなく消滅していますよ。
 後生おそるべし。
 これが正しいんですよ。
 日蓮正宗などの思い上がりを相手にするだけ無駄ですね。
 アレね、誇大妄想狂です。
 本気でお相手するほどのレベルではありません。

>ゆえに、これらの諸団体には必ず大石寺回帰願望がある、

 創価学会にはないですね。
 破門以来私は四所帯の折伏を致しました。
 これらの人は日蓮正宗そのものを知りません。
 女房などは、

 大石寺に行くから一緒にどう?

 いやよ、お寺なんて興味ないわ。

 で、耕治と二人で行きました。
 耕治もほとんど記憶にないと言ってますね。
 長男がこれです、下の二人などはまったくの無関心ですよ。
 もしね、回帰運動をするんなら、日蓮正宗信徒が身延に帰ろう運動を先にやってるでしょう。

 覆水盆に帰らず。
 
 今更日蓮正宗なんて、あってもなくてもいい他宗です。

 創価学会ではこうなってますね。

2007/7/29  17:29

投稿者:沖浦克治
 嫌われたら駄目の見本です 。
 
 家を建てる時、一般的には大工さんの人間性までは要求いたしませんね。
 腕がよくて値段が手ごろならOKです。
 でもね、あいつは腕もいいし値段も手ごろだ、だが、人間として大嫌いなんだ。
 だから、いくら安くてもあいつだけには絶対に頼まない。

 よく世間である事です。

 顕師はね、創価学会員に蛇蝎以上に嫌われてんですよ。
 だから、アレの書写した御本尊様はお力があるが、アレの書写拝むなら創価学会辞める。
 いっぱいいたんですね、こんな人が。

 所詮人間ですよ。

 御本尊様は道具です。
 使う人が主人ですよ。
 当然選ぶ権利ありますね。

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