2007/10/23
ダメ顕の独り言
ヅラ系氏より御書の解説をたまわった。しかし、よくわからないというのが本音である。
おそらく氏はご自分でじゅうぶんに思索した上でコメントされたのだろう。ようするに自分ではよくわかっている、けれども、はたしてそれが人に対して正確に伝わる文章になっているかと言えば、そこがひじょうに難しいところなのだと思う。
氏のコメントには、実相という言葉が出てくる、御本尊という言葉も出てくる。しかし、これは直接的には御書にない言葉であって、いわば意訳なのだろう。それが正しいか否か、何しろわたくしには理解が及ばない部分なので、判断のできないところである。
もちろん、別の言葉を代入することによって、それがヒントとなって理解が進む場合もある。しかし、残念ながら、いまだにピンと来ないというのが正直なところだ。
渡辺氏は、能所の別を指す・・・文脈に随えば自ずと分かる、と書いておられるが、それでもなお、わたくしにはわからない。これは重症である。誰もが容易に理解できることを理解できない場合、それは何かしら盲点があるのだろう。わたくしの場合は元来が愚鈍であるから論外にせよ、けっこう知的な人物であっても部分的にはひじょうに幼稚であったり、案外にモノシラズな一面があったりするものである。
ヤメ顕・・・
わたくしの場合は、さしずめ「ダメ顕」といったところか?
沖浦氏の、修理や理屈は専門家に任せる、ということにはじゃっかんの異論がある。
つい先日のコメントでは、出家・在家の区別を現代においてはナンセンスのごとく言い、出家不要論を展開していたはずである。そうすると専門家とは何を指すのか? まさか大学の教授など、学術的な研究者を想定しているのだろうか? それとも創価学会における教学部を専門家とするのか? この辺が不明である。
わたくしの思うに、大聖人の仏法における専門家とは、まさしく大聖人の直系の弟子こそがそれに該当するわけで、御書には「予が門家」とか「我が門家」という御表現がある。ちなみに、顕正会では大石寺を指して、正系門家と称している。まさに日蓮正宗こそが令法久住の責務を負った専門家集団なのだと思う。
また、これは当然ながら沖浦氏も承知していることであるが、大聖人の仏法は信行学のいずれもおろそかにはできないのである。
大聖人は行学の二道を奨励あそばした。また、日興上人は御書を心肝に染めるべきことを遺誡あそばしている。まさに宗開両祖の御指南あそばすところであるから、これに異論はあるまい。
遠くはかくのごとし。近くは六十七世の日顕上人が平成新編の発刊の辞において、日興上人の御遺誡を踏まえられた上で、次のごとく御指南あそばしている。
御書の血読骨持こそ宗門人最大の学解行業である。
さらに、後半部分においても、御書発刊の意義を御述べになられる中で、
本宗信徒各位の信解倍増、教義研鑽に多大の活用と効果をもたらす・・・
と仰せられている。
わたくしは宗門人ないし本宗信徒ではないけれども、この格調高き発刊の辞を拝して、教学研鑽の励みとさせていただいているのである。ひじょうにありがたいことだ。
まあ、しかし、現実はサボりがちなのであるが・・・
おそらく氏はご自分でじゅうぶんに思索した上でコメントされたのだろう。ようするに自分ではよくわかっている、けれども、はたしてそれが人に対して正確に伝わる文章になっているかと言えば、そこがひじょうに難しいところなのだと思う。
氏のコメントには、実相という言葉が出てくる、御本尊という言葉も出てくる。しかし、これは直接的には御書にない言葉であって、いわば意訳なのだろう。それが正しいか否か、何しろわたくしには理解が及ばない部分なので、判断のできないところである。
もちろん、別の言葉を代入することによって、それがヒントとなって理解が進む場合もある。しかし、残念ながら、いまだにピンと来ないというのが正直なところだ。
渡辺氏は、能所の別を指す・・・文脈に随えば自ずと分かる、と書いておられるが、それでもなお、わたくしにはわからない。これは重症である。誰もが容易に理解できることを理解できない場合、それは何かしら盲点があるのだろう。わたくしの場合は元来が愚鈍であるから論外にせよ、けっこう知的な人物であっても部分的にはひじょうに幼稚であったり、案外にモノシラズな一面があったりするものである。
ヤメ顕・・・
わたくしの場合は、さしずめ「ダメ顕」といったところか?
沖浦氏の、修理や理屈は専門家に任せる、ということにはじゃっかんの異論がある。
つい先日のコメントでは、出家・在家の区別を現代においてはナンセンスのごとく言い、出家不要論を展開していたはずである。そうすると専門家とは何を指すのか? まさか大学の教授など、学術的な研究者を想定しているのだろうか? それとも創価学会における教学部を専門家とするのか? この辺が不明である。
わたくしの思うに、大聖人の仏法における専門家とは、まさしく大聖人の直系の弟子こそがそれに該当するわけで、御書には「予が門家」とか「我が門家」という御表現がある。ちなみに、顕正会では大石寺を指して、正系門家と称している。まさに日蓮正宗こそが令法久住の責務を負った専門家集団なのだと思う。
また、これは当然ながら沖浦氏も承知していることであるが、大聖人の仏法は信行学のいずれもおろそかにはできないのである。
大聖人は行学の二道を奨励あそばした。また、日興上人は御書を心肝に染めるべきことを遺誡あそばしている。まさに宗開両祖の御指南あそばすところであるから、これに異論はあるまい。
遠くはかくのごとし。近くは六十七世の日顕上人が平成新編の発刊の辞において、日興上人の御遺誡を踏まえられた上で、次のごとく御指南あそばしている。
御書の血読骨持こそ宗門人最大の学解行業である。
さらに、後半部分においても、御書発刊の意義を御述べになられる中で、
本宗信徒各位の信解倍増、教義研鑽に多大の活用と効果をもたらす・・・
と仰せられている。
わたくしは宗門人ないし本宗信徒ではないけれども、この格調高き発刊の辞を拝して、教学研鑽の励みとさせていただいているのである。ひじょうにありがたいことだ。
まあ、しかし、現実はサボりがちなのであるが・・・
2007/10/24 3:20
投稿者:如月
2007/10/24 0:41
投稿者:巌虎ファン
ニュースで
Yahoo!BBで
<音根ミク?>
と
いう
有名な芸能人が 原因不明
で
検索に出てこない ヒットしない
と
騒がれてます
巌虎独白
と
茶寮掲示板 も
原因不明でしたよね
Yahoo!BBで
<音根ミク?>
と
いう
有名な芸能人が 原因不明
で
検索に出てこない ヒットしない
と
騒がれてます
巌虎独白
と
茶寮掲示板 も
原因不明でしたよね
2007/10/23 21:18
投稿者:虚空老人
このようにお考えになれば如何ですか?
【心は大地のごとし草木は万法のごとし】
【心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし】
大地、草木、月、花を己身の外に追い求める姿勢であり、爾前の教え、つまり世方と仏法を分けて捉える見方を示されている。
【心すなはち大地、大地すなはち草木なり】
【月こそ心よ、花こそ心よ】
大地、草木、月、花は己身そのものであり、法華の教え、つまり世方と仏法は不二一体のものであるということを示されている。
若干久しぶり。
>大聖人の仏法は信行学のいずれもおろそかには
できないのである。
学会・会合、種々の文化運動等
宗門・登山、御講
K・月例総幹部会、日曜勤行
管理人様
せめてKの現場での活動或は会合出席してから言い
なさい。
何事もいつも中途半端で、義務過程修了者とは趣
を異にする一家言。
要するに都合が良すぎるのです。Kというものす
ら、成り立っていないのです。
これでは目も当てられません。