2007/10/25

殺生罪の軽重  
昨日の続きというわけではないが、事供養・理供養のことが出てきたので、もしよろしければ、過去の拙稿をご覧いただきたい。

http://diary.jp.aol.com/ganko/227.html

そうそう、どうせならば、この少し前のブログから読んだほうが、わかりやすいだろう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/224.html

ここから始まったのだ。

掲示板などを見ていると、理由はさまざまだが、投稿が削除されることがよくある。
わたくしは当ブログにおいて、今現在はいっさい削除をしないことにしている。これはリンク先の記事のとおりだ。人が丹精込めて投稿したものをむやみに削除することは、殺生罪に相当するのではないかと思ったからである。
なお、拙稿についても、削除はしないし、改竄もしない。都合の悪い文言があってもそれを隠さない。これは殺生罪とは別の話になるが、まあ、妄語罪を戒める意味があると思っていいだろう。
もっとも、これでは小乗経ではないか、という批判があるかもしれないが・・・

基本的に重い順ということは、出仏身血よりも殺父・殺母・殺阿羅漢のほうが重罪だということになる。これは面白いことだ。

前掲リンク先の文末である。

ようするに、わたくしは罪の重い順に、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧になっていると思って、これを面白いと書いたわけである。この理屈は、まさに事の殺生と理の殺生には差があると考えたわけで、申すまでもなく事の殺生のほうが罪が重いはずだから、出仏身血よりもその前の三つのほうが重罪であろう、さらには他人を死すよりも自分の親を殺すほうが重い、しかも昔の感覚では父親を殺す罪のほうが重いはずだ・・・というようなアンバイである。

しかし、これは間違っていた。御書には出仏身血のほうが重罪であることがはっきりと説かれているのである。

 抑日本国の人を皆やしないて候よりも、父母一人やしないて候は功徳まさり候。日本国の皆人をころして候は七大地獄に堕ち候。父母をころせる人は第八の無間地獄と申す地獄に堕ち候。人ありて父母をころし、釈迦仏の御身よりちをいだして候人は、父母をころすつみにては無間地獄に堕ちず、仏の御身よりちをいだすつみにて無間地獄には堕ち候なり。

種々物御消息である。

人ありて父母を殺し、釈迦仏の御身より血を出だして候人は、父母を殺す罪にては無間地獄に堕ちず、仏の御身より血を出だす罪にて無間地獄には堕ち候なり。

父母を殺す罪が決して軽いわけではない。やはり無間地獄に堕ちるのだ。ただ、この御文では明らかに、出仏身血のほうがそれよりも重罪であることを示していると思う。
世間の常識で考えると悩ましい。何しろ仏に対する行為は殺人(仏?)未遂なのである。一方の父母に対する行為は、申すまでもなく既遂である。やはり既遂のほうが重罪ではないのか?

さらに追求するならば、相似の五逆ということを考える必要がある。仏像の破却と父母を殺す罪とどちらが重罪か?
極端な話、国宝級の仏像を破壊したとしても、しょせん、なまみの人間を殺す罪よりは軽いのではないか?

いやいや、国宝などを持ち出してごまかしてはいけない。当家には、大聖人出世の御本懐たる最大事の御本尊がましますではないか・・・ああ、しかし、これはまた、ヘタなことを書くとたいへんなことになるのでやめておこう。

そういえば、明治の初期に戒壇の大御本尊を東京に御遷座申し上げたことがあったと、盛岡会館の講演で先生が言っていたなあ・・・

2007/10/26  0:02

投稿者:とある…
仏像からは、血は出ない…
本門戒壇の南無妙法蓮華経を誹謗すれば
五逆罪のほかの誹謗正法の罪をかぶる…と思います。

2007/10/25  23:58

投稿者:とあるH
今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。
和合僧なければ破和合僧なし。阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし。
但殺父殺母の罪のみありぬべし。『顕謗法抄』

参考に、どうぞ…

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