2007/12/28
万感こもる挨拶
瑠璃堂氏から、万感こもる言葉をたまわった。
ありがとう、という言葉は普段よく使うし、また、人から言われることもしばしばである。しかし、これほど胸を打たれたことは、滅多にない。ようは普段の生活の中では、ゾンザイな使われ方をしていて、心がこもっていないのだ。あるいは商売人の発する挨拶は、たとえそれが丁寧であってもそれほど感じるものはない。かえって慇懃無礼に思うことすらある。
ともかく、ありがとうと言わなければいけないのは、わたくしのほうであろう。どれほど瑠璃堂氏に励まされたことかと思う。しかし、このように書くと、いぶかしく思う人がいるかもしれない。何しろ氏は、ご自身がブログを始められてからというもの、それほど拙ブログにはコメントをしておられないからである。
だが、精神的な連帯感というものがわたくしにはあるのだ。いや、もちろん、これはわたくしのヒトリヨガリかもしれず、瑠璃堂氏にしてみれば、いい迷惑なのかもしれないが、ともかく、わたくしにしてみれば、氏の存在はひじょうにありがたいのである。
またしても駄文を書いてしまった。いまだ文章力は瑠璃堂氏に遠く及ばない。こうしてダラダラと書いてしまうのがわたくしの悪いクセなのである。手短に書く技術を身につけないといけない。
富士川氏から天照太神についての解説をたまわった。その内容はさておき、どうやらこのところの氏はひじょうに仕事が忙しいらしく、ネット上ではほとんどお目に掛かることはなかった。そういう最中にコメントを下さることはありがたいことである。実はわたくしにとって、氏は特別の思い入れがある存在なのだ。理由を書いてもいいのだけれども、氏に迷惑が掛かるといけないので止めておく。
水無月氏より辛辣なコメントを頂戴した。東奔西走と表現したことについては、確かに誇張が過ぎたかもしれない。世の中にはもっと忙しい人がゴマンといるわけで、むしろ浅井先生などはヒマを持て余しているほうだと言えなくもないのだろう。だが、それは所対によって変わってくることなのだ。
最近は日曜勤行に出る回数も少なくなったので、定例の行事としては御書講義と総幹部会くらいである。御書講義も最近はあまり行なわれず、大きな集会があれば、翌月はそのビデオ放映で済ませるパターンが定着しつつある。
こうした中で、地方会館の入仏式だけには必ず出掛ける。また、地方会員も、浅井先生を迎える日を目指して奮闘努力する。そういうわけで、今現在は地方会館の建設が会員の士気高揚にもっとも効果的であるとの判断なのだろう。現実に建設ラッシュとも表現できる状況にあるのだ。
この意味で、けっこう忙しくしている、と言いたかったのだ。
山門入り口氏のおっしゃることは、ごもっともである。ようするに、顕正新聞の編集部はもっとプロ意識を持って仕事に取り組むべきだ、ということだと思う。
ところで、このところ創価破邪顕正館には、創価学会の女子部員を名乗る人物が投稿を続けている。それが今や他の創価学会員の間では、偽装会員との見方が広まりつつあるようだ。
わたくしは、本人が女子部員だと名乗っているのだから、それがいちばん真相に近いのではないかと思う。詳しい経緯を知らないし、大して投稿文を読んでもいないのだが、それでも口を挟みたくなったのは、簡単な理由からである。
つまり、創価学会は大所帯なのだから、そのような人が存在しても少しもおかしくない、ということなのだ。
考えて見るがいい。弱小(?)の顕正会にしても、わたくしのような突然変異を発生させているのである。いわんや創価学会をやである。
同様の意味で、山門入り口氏も突然変異だと思う。失礼かもしれないが、そのように見えるのである。
しかし、氏の場合は、独自のスタイルを確立できたという意味で、幸運だった。実際、自分のあるべき姿というものを、ある程度は己れの自覚のもとに形成してきたフシが窺えるのである。
それは氏のブログを読めば、おそらくは誰もが感じることだろう。
最後に、ある人物の、万感こもる言葉を紹介しておこう。
うるせい、バカどもが。(笑)、
こういうのはイヤミがなくて、気持ちがいい。
ありがとう、という言葉は普段よく使うし、また、人から言われることもしばしばである。しかし、これほど胸を打たれたことは、滅多にない。ようは普段の生活の中では、ゾンザイな使われ方をしていて、心がこもっていないのだ。あるいは商売人の発する挨拶は、たとえそれが丁寧であってもそれほど感じるものはない。かえって慇懃無礼に思うことすらある。
ともかく、ありがとうと言わなければいけないのは、わたくしのほうであろう。どれほど瑠璃堂氏に励まされたことかと思う。しかし、このように書くと、いぶかしく思う人がいるかもしれない。何しろ氏は、ご自身がブログを始められてからというもの、それほど拙ブログにはコメントをしておられないからである。
だが、精神的な連帯感というものがわたくしにはあるのだ。いや、もちろん、これはわたくしのヒトリヨガリかもしれず、瑠璃堂氏にしてみれば、いい迷惑なのかもしれないが、ともかく、わたくしにしてみれば、氏の存在はひじょうにありがたいのである。
またしても駄文を書いてしまった。いまだ文章力は瑠璃堂氏に遠く及ばない。こうしてダラダラと書いてしまうのがわたくしの悪いクセなのである。手短に書く技術を身につけないといけない。
富士川氏から天照太神についての解説をたまわった。その内容はさておき、どうやらこのところの氏はひじょうに仕事が忙しいらしく、ネット上ではほとんどお目に掛かることはなかった。そういう最中にコメントを下さることはありがたいことである。実はわたくしにとって、氏は特別の思い入れがある存在なのだ。理由を書いてもいいのだけれども、氏に迷惑が掛かるといけないので止めておく。
水無月氏より辛辣なコメントを頂戴した。東奔西走と表現したことについては、確かに誇張が過ぎたかもしれない。世の中にはもっと忙しい人がゴマンといるわけで、むしろ浅井先生などはヒマを持て余しているほうだと言えなくもないのだろう。だが、それは所対によって変わってくることなのだ。
最近は日曜勤行に出る回数も少なくなったので、定例の行事としては御書講義と総幹部会くらいである。御書講義も最近はあまり行なわれず、大きな集会があれば、翌月はそのビデオ放映で済ませるパターンが定着しつつある。
こうした中で、地方会館の入仏式だけには必ず出掛ける。また、地方会員も、浅井先生を迎える日を目指して奮闘努力する。そういうわけで、今現在は地方会館の建設が会員の士気高揚にもっとも効果的であるとの判断なのだろう。現実に建設ラッシュとも表現できる状況にあるのだ。
この意味で、けっこう忙しくしている、と言いたかったのだ。
山門入り口氏のおっしゃることは、ごもっともである。ようするに、顕正新聞の編集部はもっとプロ意識を持って仕事に取り組むべきだ、ということだと思う。
ところで、このところ創価破邪顕正館には、創価学会の女子部員を名乗る人物が投稿を続けている。それが今や他の創価学会員の間では、偽装会員との見方が広まりつつあるようだ。
わたくしは、本人が女子部員だと名乗っているのだから、それがいちばん真相に近いのではないかと思う。詳しい経緯を知らないし、大して投稿文を読んでもいないのだが、それでも口を挟みたくなったのは、簡単な理由からである。
つまり、創価学会は大所帯なのだから、そのような人が存在しても少しもおかしくない、ということなのだ。
考えて見るがいい。弱小(?)の顕正会にしても、わたくしのような突然変異を発生させているのである。いわんや創価学会をやである。
同様の意味で、山門入り口氏も突然変異だと思う。失礼かもしれないが、そのように見えるのである。
しかし、氏の場合は、独自のスタイルを確立できたという意味で、幸運だった。実際、自分のあるべき姿というものを、ある程度は己れの自覚のもとに形成してきたフシが窺えるのである。
それは氏のブログを読めば、おそらくは誰もが感じることだろう。
最後に、ある人物の、万感こもる言葉を紹介しておこう。
うるせい、バカどもが。(笑)、
こういうのはイヤミがなくて、気持ちがいい。
2007/12/30 10:30
投稿者:山門入り口
2007/12/30 8:20
投稿者:沖浦克治
山門入り口さん、おはようございます。
即と言う概念はおそらく仏法だけではないかと思います。
大聖人様の仏法の極意は即にあると存じます。
即の概念を理解できれば、大聖人様の御本仏様であられる理由もより鮮明になります。
仏が迹、衆生が本。
この、大聖人様の仏法を貫き通す一大理念も理解が可能になります。
一度ご研究くださいませ。
即と言う概念はおそらく仏法だけではないかと思います。
大聖人様の仏法の極意は即にあると存じます。
即の概念を理解できれば、大聖人様の御本仏様であられる理由もより鮮明になります。
仏が迹、衆生が本。
この、大聖人様の仏法を貫き通す一大理念も理解が可能になります。
一度ご研究くださいませ。
2007/12/30 1:48
投稿者:山門入り口
沖浦さん。こんばんは。
>だまし討ちのようになってしまいましたね。
全然気にしてませんよ。^^
それよりも、沖浦さんに
>少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
て、言葉を掛けて頂いた事の方が嬉しいですね。
見込みが無ければ、このような言葉は掛けてくれないと思っていますし。^^
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
>だまし討ちのようになってしまいましたね。
全然気にしてませんよ。^^
それよりも、沖浦さんに
>少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
て、言葉を掛けて頂いた事の方が嬉しいですね。
見込みが無ければ、このような言葉は掛けてくれないと思っていますし。^^
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
2007/12/29 16:05
投稿者:沖浦克治
山門入り口さん、?は私でした。
だまし討ちのようになってしまいましたね。
御免なさいませ。
だまし討ちのようになってしまいましたね。
御免なさいませ。
2007/12/29 12:42
投稿者:山門入り口
?さん。こんにちは。
ご指摘ありがとうございます。
表現が不適切でした。
>少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
激励の言葉と受け取り、日々精進?は大げさなので、努力していきたいと思ってます。
今後とも、あれ?と思うようなことがありましたら、指摘してくださいませ。
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
ご指摘ありがとうございます。
表現が不適切でした。
>少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
激励の言葉と受け取り、日々精進?は大げさなので、努力していきたいと思ってます。
今後とも、あれ?と思うようなことがありましたら、指摘してくださいませ。
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
2007/12/29 6:43
投稿者:?
山門入り口さん、おはようございます。
>ま、御本尊様=仏の法を広めるお手伝いをするてのはわかりますが、その他の誰々がてのは、無いのでは?と最近感じる事がありました。
ご本尊様は仏法に含まれますが全てではないのです。
仏法拡大のための武器でいらっしゃいます。
全ては自行化他のお題目です。
これが理解できなければ大聖人様の仏法は理解が出来ません。
また、イコールの概念は仏法にはありません。
即。なんですよ。
少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
>ま、御本尊様=仏の法を広めるお手伝いをするてのはわかりますが、その他の誰々がてのは、無いのでは?と最近感じる事がありました。
ご本尊様は仏法に含まれますが全てではないのです。
仏法拡大のための武器でいらっしゃいます。
全ては自行化他のお題目です。
これが理解できなければ大聖人様の仏法は理解が出来ません。
また、イコールの概念は仏法にはありません。
即。なんですよ。
少し研究されてはいかがでしょう。
もったいないですよ。
2007/12/29 5:32
投稿者:山門入り口
突然変異というより、元々変異体ですよ。(笑)
今、浅井会長の著書のテキスト起こしをしてるので、他に気になる事があるのですが、手つかず。
法華講に行ったからスタンスが変わる事もないです。
徘徊して思うのですが、元顕正会員の一部の方は、顕正会ぽい考えが抜けていないのではと感じる物があります。
調べてからではないと具体的に言えないのですが、信心とは何の為めにするのか?・・・
今の時点では、自分自身の為めにするのであり、誰々がとかは、関係無いのではと言うことです。
ま、御本尊様=仏の法を広めるお手伝いをするてのはわかりますが、その他の誰々がてのは、無いのでは?と最近感じる事がありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
今、浅井会長の著書のテキスト起こしをしてるので、他に気になる事があるのですが、手つかず。
法華講に行ったからスタンスが変わる事もないです。
徘徊して思うのですが、元顕正会員の一部の方は、顕正会ぽい考えが抜けていないのではと感じる物があります。
調べてからではないと具体的に言えないのですが、信心とは何の為めにするのか?・・・
今の時点では、自分自身の為めにするのであり、誰々がとかは、関係無いのではと言うことです。
ま、御本尊様=仏の法を広めるお手伝いをするてのはわかりますが、その他の誰々がてのは、無いのでは?と最近感じる事がありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77
>即と言う概念はおそらく仏法だけではないかと思います。
大聖人様の仏法の極意は即にあると存じます。
>即の概念を理解できれば、大聖人様の御本仏様であられる理由もより鮮明になります。
>仏が迹、衆生が本。
>この、大聖人様の仏法を貫き通す一大理念も理解が可能になります。
>一度ご研究くださいませ。
重ね重ね、ご教授ありがとうございます。
本年は、手つかずでしたが、私が読みたいと思ってる書籍にその答えが多少なりとも出ているのではと思っています。
本年は色々とありましたが、来年も変わらず、色々と学ばさせてください。
それでは、良いお年をお迎えください。
お年玉は、受付しておりますよ。(笑)^^
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77