鳥取の因幡、稲葉山と鳥取市国府町の酒賀神社の延長線上に三重県津市の稲葉神社、そして、同じく三重県津市の香良洲(からす)神社が一直線上に並びます。これは単なる偶然で片づけられません。稲葉山は和歌にも歌われる因幡の名山ですが、稲葉山を象徴する稲葉神社には主祭神,稲葉大明神のほか、八上姫と大己貴命が祀られています。
酒賀神社は大己貴命と八上姫を祀る神社で、近くに御井神を祀る大石神社、胞衣(えな)荒神もあることから、幼い御井神と八上姫と大己貴命の宮殿のあったところと推定されうるところです。この稲葉山と酒賀神社の2点を結んだはるか延長上に、三重県津市の稲葉神社と香良洲神社が位置するのですから驚きです。
以下は、今年1月15日に記した当ブログ記事ですがその時点では因幡の神社との位置関係はわかっていませんでした。最近になって八上姫と関わる稲葉、酒賀神社との位置関係が判明し、俄然その祭神の関係が大きくクロースアップされたわけです。これらの事実から、八上姫と瀬織津姫・天照大神が親子の関係であることにさらに確信を強めました。
http://white.ap.teacup.com/hakuto/1707.html
香良洲神社 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%89%AF%E6%B4%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
>社伝では飛鳥時代の欽明天皇の代(539年 - 571年)に香良洲の浜に夜ごと御神火が現れ、住民が祟り(たたり)だと恐れを成し、一志直青木が祈りを捧げ、神の御心を問うた[5]。すると稚日女命のお告げがあり、生田神社(兵庫県神戸市)から勧請して創建された[5]。別の説では大同2年(807年)創建という[2][13]。大同2年は、大伴文守が平定のために伊勢国に赴き、平定後に香良洲神社へ参詣し、和平の誓約として矢を奉納した年である[13]。
『延喜式』には稲葉神社として記載され、祭神は稲羽八上比売命とその子木俣神の2柱であり、俗称が加良須社だとしている[5]。ただし、香良洲神社ではなく津市稲葉町の稲葉神社を『延喜式』の稲葉神社であるとする説もあり、内務省が1874年(明治7年)9月に調査を行い、1875年(明治8年)6月に稲葉町の稲葉神社を式内社に比定、可良須社は式外社の香良洲神社となった[14]。<
現在の稲葉神社
http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is080503-01.html
>三重県津市稲葉町462
北緯34度41分50秒,東経136度24分26秒
【祭神】(合祀)大鷦鷯命 大物主命 (主神)伊佐波登大明神(筆者推定 天照大神)
(合祀)須佐之男命 (主神)大年命 玉柱屋姫命(瀬織津姫)
【例祭】10月10日 秋ノ大祭
【社格】旧村社
【由緒】創立年代不詳
明治4年(1871)村社
明治8年式内社と認定
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>稲葉神社
平安時代中期 927(延長5)年、醍醐天皇の御代に編纂された「延喜式」の神名帳にのせられている神社のことを式内社という。式内社は、御由緒が最も古く正しくて、朝廷の崇敬が特に厚く、神祇官及び国司の奉弊を受けられる神社のことである。久居市には5座の式内社があり、そのうち2座が、稲葉神社である。稲葉神社は、
二座並殿の神社で、左を伊佐波登美大明神(伊佐波登美神)、右を穂落大明神(於保止志神)と称し、志摩国伊雑宮及び穂落の2所を祀る所と云い伝えられている・・・・・・稲葉郷と称して、鎮座の山寺の羽間院西光寺の山号を稲葉山と号している。氏子稲葉区は元の多野田村、蠅田村を合併したものである。又 社伝に曰く、「志州より勧請せし夜、社の後ろに大石出現する。」この大石は、懸悦の御霊石と称して瑞垣の内、社の後ろにあり、仙鶴の化身と信じられてきて。仙鶴は勧請と同時に、稲1株をくわえて、この地に降りきたった まな鶴で里人は稲作を伝えた神として■してきた。この大石は、地上高さ1.9m長さで1.8mに及ぶ花崗岩である。神社の境内は580坪、氏子は200戸である。稲葉は古く種生田村といい、仙鶴のもってきた種をまいたところからその名がつけられ、また、鶴の翼を広げたところを羽間田村といわれるようになった。その後転じて種生田村→多野田村、羽間田村→蠅田村となったという口碑がある。近世にかけて久居藩主藤堂佐渡守が大檀那になって造修理した棟札があり、広く地域の信仰をあつめていたようである。1871(明治4)10月稲葉村の村社と定められ、1874(明治7)年9月内務省より式内社調査があり、1875(明治8)年6月式内社と確定された。
毎年、旧6月14日ごろ稲葉神社の境内で16〜25才の下稲葉区青年団が中心となって、稲葉の祇園カッコ踊りが行われる。400年前から伝えられているもので、この日はキュウリを食べない習慣になっている。(祇園さんの紋がキュウリをたてに半分に切った型であるためといわれている。)
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http://rekiyu.web.fc2.com/tj/9.html">
http://rekiyu.web.fc2.com/tj/9.html
ネットで検索しても、この2つの神社の祭神についてはこれ以上判明しません。
玉柱屋姫とは瀬織津姫の別名です。
http://blogs.yahoo.co.jp/shrinemaiden1111/7162873.html
八上姫と御井神がかつていずれかの神社に祀られていた可能性があり、そこに、天照大神の姉神であるワカ姫と瀬織津姫が祭神となっており、しかも、伊雑宮祭神ともかかわっている、となると一大事です。現在のところ、これ以上のことはわかっていませんが。今後さらに研究を深めていきたいと思います。
香良洲神社は京都市の祇園祭、鈴鹿山の冬至の日の出ライン延長上に位置します。