ソーシャル・ネットワーク

2015/4/13 | 投稿者: 木下

 4〜5年前フェイスブック創業者ザッカーバーグの半生を綴った「ソーシャル・ネットワーク」(監督:デビッド・フィンチャー)という映画を見た。彼はハーバード大学在籍中、恋人に振られた腹いせに彼女の悪口をネットに書き、ついでに女子学生の品定めサイトを学内で立ち上げる。男子学生のアクセスが集中してサーバーがダウンする一方、女子学生からは大ひんしゅくを買う。プログラム能力を買われて、別の学生からフェイスブックの元になるアイデアを持ちかけられると、そのアイデアを元に自分だけでフェイスブックを作ってしまい、のちにアイデア盗用の訴訟を起こされる羽目になる(うろ覚えなので、気になる方はDVDをどうぞ)。
 つまり最初はハーバード大学生(エリート)が恋人を選定するための秘密クラブ的発想で作ったのですね。エリート限定でクローズドだったからこそ、皆が入りたがったのかもしれない。それが今や、世界で最もユーザー数が多く、日本国内でも既に2300万人もユーザーのいるSNSに巨大化し、私の知り合いも大勢使っているオープンなツールになって、今後はどういう方向に進化するのだろうか。

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 実は〆切をひとつ上げた記念に、フェイスブックのアカウントを取ってみた。既にサイトとブログとツイッターとYouTubeチャンネルを持っているのだが、暇になると何か新しいことを始めたくなってしまう。だが…フェイスブックは今までのツールと比べて少々戸惑うことが多かった。
 「友達」という言葉がキーワードのようで、アカウントを取ると自動的に「この人は友達ではありませんか?」という写真リストがたくさん出てくるのにまず戸惑う。面識ある人、仕事関係の人や懐かしい顔の写真が出てきて嬉しい反面、そんなに「友達」認定を迫られると怖じ気づく。相手に「友達認定」をお願いするのはもっと恥ずかしいし、断られたら相当傷つきそうだ。開始早々「友達」攻撃にたじたじ。
 趣味を詳細に記入する欄があるのにも戸惑う。出身地や出身大学、好きなスポーツ・音楽・芸能人・本といった自分の嗜好を全部オープンにした上で本名を名乗ることは、個人情報保護の観点から大丈夫なのだろうか。ノート機能は便利そうだが、これだけを使うならプログと同じか。

 ちなみに、ツイッターとフェイスブック(ノート以外)の情報は流れて消えて行き「人とのつながり」こそが切り口となるが、ブログでは「情報の蓄積」がどんどんなされるので検索サイトに登録されやすく、特定の分野に関心のある人を引きつける力があるそうだ。
 ということは私の場合、新たにフェイスブックを始めるより、ツイッターの書き込み回数を増やすことで「人とのつながり」を、休止状態のブログを再開して音楽・文化・日常に関する文章を定期的にアップすることで「情報の蓄積」を行うのが一番効率がよいことになる。結局、どんな便利なツールを使っても三日坊主では意味がないということか。ようやく取ったフェイスブックのアカウントを静かに削除した。



2015/4/27  15:50

投稿者:島崎弘三

ある高校の学内合唱会が日比谷公会堂であり、久しぶりに合唱に接する機会がありました。その折、パンフレットに「作曲木下牧子」とあったのを思い出し、インターネットで検索していました。
4月の桜の季節になると、若い頃の明るい記憶もふと呼び覚まされます。上野公園の桜の中を歩いた気分を思い出すとなぜか少し元気になります。
木下さんのプロフィール写真、いいですね。仕事も充実して、よい日々を過ごしておられるからですね。
昨日、娘から「老と死」というテーマのレポートについて、質問がありました。家族にインタビューするようにという課題だったようです。夜、目が覚めて、シューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」を聞きました。久しぶりでした。40年ほど前はよく音楽を聴いたのですが、仕事を始めてからは、ほとんど雑音の中で暮らしてきたようです。
CDを買ったのは20年ほど前、教会の聖歌1枚と10年ほど前にジャズを1枚。音楽とは縁がなかったようです。
また時間を作って、メサイアなどもまた聴こうと思います。私はどうもバロック音楽が好きなようです。
YOUTUBEの作品集聞きました。さわやかなのに、あったかくなりますね。ますますのご活躍を祈念します。

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