2009/6/20
「表現の位置」
梅雨ですね。
この時期は深緑が目にやさしくていいです。
梅雨は気象のせいか、精神的に上下する不安定な時期であるようなが気がします。
どんよりの曇り空とか、憂鬱でもないのに何故かそう映るような雨の日とか、かと思えばちょっと晴れたり、湿度の状況とか、そういう気象の変化って日々の精神の状態ととても繋がっている気がします。
ふと思うことがあるのだけれど、
どこかのレコード会社と契約しているミュージシャンと、音楽とは別の仕事をもって自主的に演奏活動をしているミュージシャン。この二者は案外対照的なのだとおもったりします。
どちらの土壌がいいのかはわからないのだけれど。

好き勝手にコンセプトを決めて好きにアルバムをつくったり、ライブ企画をたてられるのが後者。
好きにやって自然にもうけられたら一番なんだろうけど、まずそれじゃ成り立たないだろうから。
商品としてのカラーをしっかり持って利益をうむことを気にしながらやらなきゃならないのが、前者。だって、仕事だものね。出資者がいて、プロデューサーがいて、スタイリストがいたりして、また、会社への公開ライブなんてのやったりして、表現の方向性をみせて、これはいかんとか、これをもう少しこうせんと。。。なんて品定めされるのだろうかね。。。まあ、そうやって客観的に見て商品として成り立たせようという商業的な意識が盛り込まれているのは確か。だから後者みたいな自然発火したものとは違う何か背伸びしてやらなければという気もする。
しかし、後者だって背伸びしないわけじゃない。それじゃ表現としてなりたたない。ただ主観的にやるのとはちがう。仕事としてやるわけではないにせよ、表現の一つだからそこで発したい何らかのメッセージ的なものに駆り立てられて発信しているのだと思う。この何かに駆り立てられて表現を発することをキープして続けてゆくのが難しい時がある。こういう後者の人達はどうやって日々別の仕事をしながらもまれながら表現をキープしているのかな。。。なんて思う。みんなどうしてるのかななんて、運命共同体みたいに。。。でも、これにはそれを支えてくれるなんらかの仲間がいるのかもしれないね。きっと。。。そして見守ってくれる人達がいて、そういう支えがあるから、ヴァン・ゴッホだって精神的にまいりながらもなんとか絵を描き続けていられたんだろうし。。。
表現は利益とは違うところで発信していたい。そんな今です。

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投稿者: Hideki Matsushima
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