日 時:2011年11月30日(水)19:00〜21:00(日時にご注意!)
会 場:「・オリーブガーデン・」(06-6328-5969)
交 通:阪急京都線「淡路駅」東出口下車、東へ徒歩5分
大阪市東淀川区菅原5-3-10(カエルの看板が目印です)
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http://www.mapion.co.jp/m/34.73629721_135.52297499_10/
資料代:500円 / 高校生以下無料(どなたでもご参加いただけます)
★準備の都合上、必ず当研究会(masipon@nifty.com)まで参加お申込を!
報 告:「在日朝鮮人集落の『戦後処理』―兵庫県伊丹市中村地区を事例に」
松下佑樹さん(大阪大学大学院文学研究科2年)
本発表では、兵庫県伊丹市にかつて存在した在日朝鮮人集落である中村地区の整備事業をその実施過程を明らかにしながら、「戦後処理」の観点から検討する。
かつて、日本で最大規模の「不法占拠」地域ともいわれた同地区は、ピーク時の1965年頃には最大で約800人が生活しており、居住者の多くが同胞を頼ってやってきた在日韓国・朝鮮人であった。終戦と同時に飛行場を接収した米軍が立ち退きを求めたが、住民は応じず、戦後の混乱の中、行き場を失った人たちが住みつくようになった。1970年の大阪万国博覧会開催に向けて空港は拡張工事を始め、3000メートル滑走路を一本追加した。そのため、中村地区は滑走路に食い込むかたちで残っており、住民の立ち退き移転が問題となった。滑走路の使用が始まると、20〜30メートル先にある中村地区は激しい騒音に見舞われた。
2001年から住環境改善に向けた具体的な動きが始まり、翌年9月には、国土交通省大阪航空局、兵庫県、独立行政法人空港周辺整備機構、伊丹市による「中村地区整備協議会」を発足させた。2002年、移転補償が決定し、156世帯361人の住宅と事業所の計208棟の移転補償に合意した。移転先は空港用受信所跡地が充てられ、市営住宅2棟が建設された。2009年11月、住民の転居がほぼ完了し、70年以上の歴史を重ねてきた「中村」は姿を消した。
「国が中村地区に移転補償制度を適用したのは、人道上の見地からだと説明された」(金菱 清『生きられた法の社会学』)。だが、本論文では「人道上の見地」とは別に、中村地区に居住していた在日朝鮮人を植民地支配と戦争の受難者、また整備事業のなかでその受難の歴史を顧みる作業を「戦後処理」と措定することで、交渉の場や集落移転後に発せられた住民の証言をすくい取りながら「中村地区整備事業」を問い直すことを目的としたい。
★終了後、懇親会を開催します(別途 懇親会費)。
主 催:コリアン・マイノリティ研究会
大阪市東淀川区菅原5-3-4 陰陽連絡線セッパラム文庫内
http://white.ap.teacup.com/korminor/ 090-9882-1663
masipon@nifty.com

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