今月末に二度目のF1GP開催を控えたシンガポール。
昨年のレースに関してルノーチームから声明?が出たようだ。
信じたくないが可能性は有り得る、と思ってはいたが、いざ明らかになると、萎える。
そんなにまでして勝ちたいのか、という気持ちと、そうまでしなければシートを確保出来なかったのか、という思い。
そうすることで未来が開けると信じた青年を、愚かしいと言い切ることが出来るのか。
そして、そんな極秘の暗黙の取引が、簡単に露呈してしまう浅薄な時代。
腹黒い策士に見込まれ放擲された、青年の不幸な未来は暗い。
F1を真面目に見なくなってからもう何年も経つが、そのあいだにも、何々ゲートと呼ばれた問題は幾つあったろう。
そんなことに馴れたくないと思っていても、魑魅魍魎は何時でも徘徊している。そんなものに拘わるとはなんと軽率なことか、と云えるのは、ただ当事者ではないから。
今回の問題は分かり易いだけに深刻かも知れない。
翌年のシートと引き換えに、ちょっとミスをしてくれれば良いんだ、と囁かれたなら、成績が不振で次戦のシートに不安を感じていたなら、気持ちは傾かないか?
例えば、ちょっとしたタイミングでブレーキングするだけでいいんだ、とか、あのコーナーを曲がり損ねたらエンジンも止まりかねないよ、とか、或いは、軽く〇〇してくれたら、なんてことを、来年もこのマシンに乗れるといいよね、という言葉とともに囁かれる。
そんな場面が、何時何処でも有り得ると、想像することも不思議では無くなる、としたら。
堪らない。
有り得ないとは言い切れない。
不安を感じる現実は、どこにでもある。
知らない方が身のためだ、
と、安っぽいドラマの言い草が真実味を帯びるとき、
闇の深さを推し量る。
レースはレース、策謀は無いとは言えない。
それでも、良心を信じたい。
そんな気持ちを嘲笑するような。
レースは人生と同じだ、
唯、自分の見た走りを信じたい。

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