開いたドアを押さえてくれた背中に、何気なく「お疲れさまでした〜」と声を掛けてから、慌てて「おめでとうごさいますって言った方が良いですね」と言い直した自分に、軽く頷き「ありがとうごさまいす」と返してくれたレーシングスーツ姿は淡々としていた。
それは、そう、もてぎJLMC第3戦で優勝、3連勝で全日本タイトルを獲得、表彰台から下りて来た野田英樹選手だった。
不意に「さびない人」というフレーズが、浮かんだ。
くすまない、衰えない、変わらない、輝き続ける、走り続ける、挑戦し続ける。
野田英樹のレース人生を、詳しく知っている訳ではない。ファンな訳でもない。それでも、彼が、恐らくレースを始めてから今まで、つねに新しい挑戦を続け、立ち止まることの無かったことを知っている。
80年代の終わりに、F1にフル参戦する中嶋悟選手の支援を受け、欧州で日本人としては初めてかも知れない欧州ミドルフォーミュラの幾つものレースに参戦した。華々しい記録を残したとは言えないかもしれない。それでも幾つもの表彰台に登り、今のように日本国内で大きく報じられることは少なかったが、パイオニアとしての記録を刻み続けてきた。彼を欧州に導いた中嶋悟選手と別れた後も、ひとり海外での挑戦を続けた。日本に戻ってきたのは何時だったか、アメリカに渡ったのが何時だったか、記憶は朧げだ。国内レースに復帰し、自らチームを立ち上げてフォーミュラ・ニッポンにオーナー・ドライバーとして参戦したのは何時だったろうか。長い豊かな経験と、新参のチームに中々結果は出なかった。それでも、翌年の体制を整え挑戦を続けようとしていた2005年末、大きな転機が訪れる。
13歳でカートを始めてから24年間、ずっとフォーミュラにこだわり乗り続けた彼が、悩み抜いた末に大きな決断をする。2006年から新シリーズとして開催が決まったJLMCへの参戦だ。全日本スポーツカー耐久選手権。
開幕1戦目も2戦目も完走することも出来なかった。だが、予選の速さを評価され、本家ザイテック・ワークスからオファーを受け、幾つものトラブルを乗り越えて2006年ニュル第3戦の6時間を7位で完走する。トラブルやアクシデントに負けない強靭さ、それは彼の人生そのものだ。
彼は2年前のあの時、少年だった自分を今の世界に送り出す契機となった、地元のカートショップを訪ねている。何を想ったのだろうか。何を願ったのだろうか。そして下した決断が、今報われる。全日本タイトル戴冠、おめでとう。
それでも彼の挑戦は、これからも続くのだろうと、信じている。輝き続けるために。

於2006年もてぎJLMC:kojioyama Photographより拝借
http://www.kojioyama.com/

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