それでもボクはやってない  新作レビュー

見た日/1月某日 ★★★★

新聞記者時代、改めて思ったこと、というか気づいたことがある。それは、逮捕されたときは、あくまで「容疑者」であり、刑は確定してないから決して「犯人」ではない、ということだ。

容疑者は、その犯罪を犯したかどうかわからないが、警察によって疑わしいとされた人、ということである。しかし、新聞は、容疑の段階でも「逮捕された事実」として報じる。

でも、一般の人は、「逮捕された時点」で、容疑者だろうが何だろうが、新聞表記がどうであろうが、この時点、新聞に掲載された時点で、その人を「犯人」と思う。だから、新聞もよっぽど自社取材で裏づけが取れない限り「警察の調べによると」という表現で逃げる。

この映画で描いているが、日本の刑事裁判は起訴されれはまず有罪になる。それは、日本の警察が優秀、ということではあるのだが、実際に日本の場合は自白中心の取調べであり、冤罪が出ていることを考えると、本当に恐ろしい。

実際の裁判は、この映画のように事務的・機械的であり、淡々と進む。裁判官は能面のような顔をして、サクサク、と事を進める。証拠がそろってなければ法定もすぐに閉廷する。

僕は記者時代に裁判所で起訴状を見せてもらってネタを探す仕事をしたことがある。また実際の裁判(刑事、民事ともに)も取材したことがあるが、この映画で描かれた「裁判」は実にリアルだった。

さて、この映画だが、綿密に取材したであろう、被疑者が起訴され、裁判に進む過程を時系列ごとに克明に描きながら、刑事裁判のシステムに潜む問題点を主張するのではなく、自然にあぶり出す、という手法は見事、としか言いようがない。

主人公が痴漢を本当にしたかどうか、それは観客と主人公本人にしかわからない仕組みで、本人の主張に対して、弁護士や検事、判事だけでなく、家族や友人ら、周囲の対応をも含め、映画が進むにつれて、とてつもないサスペンスを生み出していく。

裁判が進行していくと、主人公が本当に痴漢を犯したのか。観客さえも時折分からなくなってくる。なかなか進まない裁判の現実に焦燥してくる姿もリアルだ。主人公も善人ヅラはしない。素直に感情を出していくが、明確な善も悪もなく、被告、刑事、判事、検事、弁護士、傍聴人すべてが人間くさいのも、この作品の妙だろう。

演じる役者さんたちはみんなよく知られた顔だが、とっても存在感があって、その「役」そのものに見える。とくに裁判官役の正名僕蔵や副検事役の北見敏之らの演技は恐ろしく自然ですばらしい。

淡々としているのに、最後の最後まで、スクリーンから目を離すことができないし、2時間20分余りの長い映画だが、上映時間の長さを感じさせない。それほど緊張感があるのに、それでもどこかしら映画がユーモラスなのは、数々のコメディ傑作映画を撮ってきた周防正行監督が本来持っている「味」なのだろう。

かつて周防監督は、映画のメイキングビデオ「マルサの女をマルサする」で、伊丹十三監督の緻密な演出法を、ユーモアを含めながら緻密に、理詰めでわかりやすく解説していて驚嘆したが、その手法は健在。映画のクライマックスは法廷のみで、セリフの応酬なのだが、とっても分かりやすく、観客の感情をきちんと揺さぶってくれる。

社会的な問題点を指摘しながら、これだけのエンターテイメントを作れる力量はすごい。なかなか人が気づかない社会的な裏テーマをエンタテイメントに昇華させる技はある面、伊丹監督を思わせるところもあるが、伊丹監督と違うところは、どこかドライだった伊丹作品と違い、周防監督の作品は、弱者の痛みというか、弱さの切なさ、みたいなところを描いている点だと思う。

この映画でも、ラスト、主人公が発するセリフが僕の心に切なく届いた。
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