再び『マイマイ新子と千年の魔法』  新作レビュー

現在、公開中のアニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」。

早く紹介しすぎちゃったのだが、この作品も、少し関わらさせて頂いている。

実はこの映画の共同プロデューサーであり、ともに佐々部監督作品を応援してきた山口放送のAさんの御配慮で、ちょっとだけだが声優として参加させてもらっている。

そんな縁から、いろいろと宣伝活動もお手伝いをさせてもらった。チケットも、ウチの事務所で扱っている。

11/14の山口県での先行上映ではスタッフの一人として片渕須直監督と、新子ちゃん役の福田麻由子さん、貴伊子ちゃん役の水沢奈子さん、主題歌を歌っているコトリンゴさん、原作者の高樹のぶ子先生と同行させて頂いた。

また翌日に防府市の音楽ホール・アスピラートで開催されたトーク&ライブでは、台本を書かせてもらい、舞台監督をさせて頂いた。

このときのことを、嬉しくも、片渕監督がブログで書いてくださった。↓

http://blog.goo.ne.jp/kantoku1121/e/a05dc379596495d0b8a5415c9693d810

このトーク&ライブ、実は、最初の台本の内容と、舞台挨拶の内容が見事にダブっちゃったのだった。お客様のほとんどは、映画を鑑賞されてから来場される、と予想できた。

それで、舞台挨拶の夜、東京から来られた宣伝プロデューサーさんから「もう少し、作品の世界観に深く入られる内容がいいのでは」と提案を受け、納得。でも、もう時間は夜11時前だ。

でも、この方の眼差しは真剣で、胸に熱いものが込み上げてきた。恐らく、この深い深い映画に出会って、仕事以上に、心を揺さぶられていることが、しっかりと伝わる。

この日、初めて会った方だったが、僕と同じ「熱さ」を感じた。「時間がないし、手書きでも、差し込みでも構いませんよ」と御配慮を頂いたが、「大丈夫です。今から台本を直して、きちんと製本します」と言ってしまった。

その方、即座に「熱いね!男だよ」と一言。いやあ、いいな、こういうの。で、横にいる山口放送のFさんの顔をチラリ。台本をフォーマットに落とし、製本するのは、この方の仕事なのだ。そのときFさんが小さく頷いてくれた。

打ち合わせをしていた防府市のホテルを出て、Fさんに「すいません。あんなこと言っちゃって」と聞くと、「大丈夫です。頑張りましょう。僕も、胸が熱くなりましたよ」と一言。ああ、また胸が熱くなる・・・。

それから深夜の山口放送で作業開始。僕が手書きで台本を直すと、Fさんがパソコンで清書して、製本にかかる。深夜に完成したが、不思議な達成感で満たされた。

このとき、周南映画祭のちょうど一週間前。映画を巡る「絆」は、もうこのとき始まっていたのだ。

翌日、出演者の皆さんとの打ち合わせで、ついつい熱い言葉を言ってしまったのだが、その宣伝プロデューサーさんが肩を叩いてくれたのも嬉しかったし、この映画に熱い情熱を注ぎ、山口に何度も来られていたA社のIさんがウルウルされている姿にも、感動した。

何より片渕監督に「この映画のテーマは友情を共有し、友達になること。大橋さんは友達ですよ」と言われたのに感激した。そんな、「マイマイ新子と千年の魔法」。以前書いたレビューも、ここに一部加筆し、再録したい。

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観た日 5月某日 ★★★★★

恐らく日本一早いであろう、舞台となった山口県防府市での特別先行試写会で観賞させて頂いた。

アニメとしてのクオリティが、実に高い。

「千と千尋の神隠し」を想起させてくれたが、片渕須直監督は宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」「名探偵ホームズ」で監督補をした方だった。

昭和30年の山口県防府市。千年前の平安時代、このまちは、国衛と呼ばれていた。確かに大昔も人々の暮らしや営みがあったこのまちで、自由に生きる子どもたち。

かつて、僕たちが野や山で遊んだとき、田んぼや神社の境内の裏側に、とてつもない「何か」を感じる瞬間があった。

それは闇なのか、何か神秘的なものなのか、それは分からないけれど、そんなものを感じながら、子どもたちは日々を送っていたものだ。

そして家に帰れば、そんな「何か」を今に伝えてくれる、僕の家で言えば、祖母がいた。

「あの山には●●がおるから、行っちゃいかん」「あそこは昔、●●がおって、おばあちゃも、●●をしたもんじゃ」などなど。

そのおばあちゃんの存在もまた、神秘的だった。いつも着物を着ていて、顔はしわくちゃで、その存在感と怖さは独特で、あのころ、家族という日常の中に、神秘的なものが確かにいたのだ。

この映画は、そんな昔から続く神秘的な「何か」を感じながら、その「何か」が住む自然と一体となりながら、伸び伸びと遊び、友達同士の絆を紡いでいく、「子どもたちの姿」が生き生きと描かれる。

これが現代となり、子どもたちも文明に慣らされ、その「何か」も見えなくなり、いつしか「闇」の住民たちも病んでしまっている・・・そんな世界観をアニメーションとして見させてくれたのが、宮崎監督の「千と千尋の神隠し」だったように思う。

作品の世界観も違うので、比べようもないのだが、この映画は、不思議と「千と…」を連想させる。しかし、「崖の上のポニョ」もそうだったが、「千と…」以降、終末観的な物の見方に救いを求めているような宮崎監督の作品群に対し、この映画は、不思議な明るさに満ちている。

「となりのトトロ」に見られたように、かつての子どもたちは、神秘を力にしていた。恐らく日本中の子どもたちがそうだったであろうと思われる、かつての子どもたちの姿が、この映画にも、存在している。そういう意味では、宮崎監督のお弟子さんとも言える片淵監督が、この映画を作っていることはとっても興味深い。

だが、この映画が「トトロ」と違うのは、神秘を力にして生き抜く子どもたちだけでなく、大人の現実、例えばこの時代にも確かにあった貧困や差別、そして人の「死」をある程度リアルに描いている点だろう。

映画では新子が友達のために、大人の世界、いわゆる「現実」に立ち向かうエピソードがクライマックスとなっていくが、「こどものせかい」は、その「現実」をも突き抜けていく。そこは実に深い描写が待っている。

そしてその「こどものせかい」は、千年前にも確かにあったことを映画は示唆するが、果たして現代は?そして未来はどうなのか?そこまでも示してくれる力を、この映画は持っている。

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