リアリティ  映画つれづれ

最近の映画を観てて、思ったこと。

「リアリティ」は大事だな、と。

観客は、様々な気持ちで「映画」を観ている。そして、様々な感情や想いを、「映画」によって思い起こさせ、魂が震えたりするのだ。

だから、そこで描かれている世界は。あるていどの「リアリティ」がないと、感動しないと思う。

当然、スポーツを扱っている作品なら、観客が過去に経験したり見たりしたスポーツが「感動」の基準になるだろうし、恋愛物や人間ドラマなら、過去の恋愛や、人と人との関係の中で感じた感情がその基準になるだろう。

だから、観客である僕たちが感じる「リアリティ」が、映画にとって、かなり重要な要素になってくる、と思うのだ。

じゃあSFやファンタジー、アニメはどうなの?ということだが、完全な架空の世界であっても、そこに「人」(あるいは動物や人じゃないキャラクターでも、擬人である場合は人と同じだ)を描いている以上は、「リアリティ」は必要であって、名作と呼ばれるファンタジーやSF物は、すべて人の匂いや想いに満ち溢れ、「リアリティ」を感じる作品ばかりだ。

時代劇や過去を扱った作品でも、実は史実から見れば間違いだらけ、ということは多々ある。たとえば江戸時代の女性は今のような化粧ではないし、馬もあんなに大きくなかったはずだ。でも、それは今の「リアリティ」に寄り添って作っており、だからこそ「感情移入」できる場合もある。

逆に、何気ない描写で、かえって「リアリティ」が失われる場合もある。「この胸のときめきを」という作品があった。素敵なタイムスリップ物の恋愛映画で、「ある日でこかで」にインスパイアされたのかな、とも思われる大好きな作品だが、この作品は北九州市門司を舞台にしていて、1970年代の話なのに、下関市の海響館がバックに写り込んでいるのである。ほほえましくはあるが、こういうことがあると、!とは思う。確信的に(演出として)時代劇に現代の風景を出したりするのとは、ちょっと違うと思う。

で、最近観た映画で気になったのが、レビューでも書いた「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」と「ブラック・スワン」。

「もしドラ」は、魅力的なアイドル映画として成功しているし、マネジメント書から得た発想で野球部が強くなる、というユニークな発想が物語展開にも効いているのに、肝心の野球シーンがペケペケなのだ。これは、惜しい。

田中誠監督は、野球場の雰囲気や応援団を含めて、一般的な高校野球部をリアルに表現しようとしていて、そこは成功している。ここのところは同じTBS製作で「野球映画」の枠を超え、驚愕のファンタジーと化し、これはもはや「映画」と呼ぶにはこれまでの「映画」に失礼だろう、という領域まで昇華した「ル●●ーズ−●●−」に比べれば一億倍いいのだが、そこまで作っているからこそ、投手役の俳優に明らかに野球経験がないのが、スクリーンから伝わるのはちょっとなあ、という感じなのだ。

かつて、佐々部清監督は「チルソクの夏」のとき、陸上部員の女子高校生たちをキャスティングするとき、演技より、まず、本当に走れるか、跳べるか、ということを重要視したという。スポーツを扱う場合、この基本がしっかりしてないと、物語が良くても、そこの「リアリティ」のなさで、観客は「映画」の世界から現実に引き戻されかねない。

でも、映画館の中だから、そこは黙って目をつぶれば楽しめないことはないのだが、やはり、観客に作品を届けるとき、フィクションだからこそ、現実感はこだわってほしいなあ、と思うのだ。

「もしドラ」の前田敦子氏は作った感じもなくて好演だったが、打席に立つシーンがあって、小学時代、実はチームの主力打者でした、という設定で、そこはこの映画でも重要なポイントなのだが、申し訳ないが、やはり経験者にはどうしても見えない。

そこは少年野球だから、と言われる方もいるかもしれないが、少年野球はスゴイ、のである。僕の小学5年の息子はピッチャー、4年の息子はキャッチャーをしているが、毎回試合を見に行くたび、その少年野球界のレベルの高さにはびっくり驚きである。

資料によると、「もしドラ」の出演者たちもかなり野球の特訓はしたみたいだが、リアリティを感じるところまで達しなかったのは、少し残念だな、と思ってしまった。

そこで、「ブラック・スワン」である。

ナタリー・ポートマンは1年間かけてバレエの特訓に励み、バレエ・ダンサーとしての身体を創り上げ、映画の中で(例え吹き替えがあったとしても)『本物』に見える、リアリティのあるバレエを見せて(魅せて)いる。これは凄い。

いろいろ書いたが、「もしドラ」は青春映画として好きな雰囲気を持っているだけに、ちょっと感じたことを書いてみました。

ところで、あっちゃんは可愛いが、「もしドラ」で親友役の川口春奈氏が可愛いのに、ちょっとドキドキ。あと、特撮オタクとしては、「獣拳戦隊ゲキレンジャー」のゲキレッドを演じた鈴木裕樹氏が、まったく違うイメージでドラッカーおたくの野球部員を演じてビックリした。

※お詫びと訂正
記事中の映画タイトル「この胸のときめきを」は、「この胸いっぱいの愛を」の間違いです。また文章で「1970年代の話なのに」とありますが、「1980年代」の間違いでした。訂正するとともにお詫びします。今後、作品タイトルや内容、俳優名、監督名等を記す時には、より一層の正確さを期して参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

マニィ大橋
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2011/6/22  9:01

投稿者:マニィ

ナットマンさま、ありがとうございます!

以後、気をつけます・・・。

2011/6/21  19:49

投稿者:ナットマン

おぉ!? Mr.S様から直々のツッコミが(驚)
なるほど。それで話が見えなかったんですわ(苦笑)
私もブログの読者としても書き手の一人としても勉強になりました。
私からもありがとうございました。

2011/6/18  11:24

投稿者:マニィ

K−SASABEさま、ありがとうございます!!

本当に申し訳ございません!!!

完全なる思いこみ、で感情のままにプログを書いていること、猛反省します!!!

監督には、以前も固有名詞に気をつけるよう、アドバイスを頂いていたのに・・・。

痛恨の極みですが、もっと僕自身が「リアリティ」を追及してまいります。

「この胸のときめきを」は和泉聖治監督作品の修学旅行をテーマにした映画で、塩田明彦監督作品「この胸いっぱいの愛を」と混同していました。タイムスリップ先も、1986年でした。

お詫びして訂正し、本文記事にも訂正文を書かせて頂きます。

メディアに出る1人として、映画伝道師の役割を自覚する1人として、今後、気をつけ、形にするからには努力して「リアリティ」を追及していきます。

ご指摘、ありがとうございました。

2011/6/16  17:15

投稿者:k-sasabe

マニィさま
こんにちは。
僕は常々、映画にはある種のリアリティは必要なのだと思っています。それをスタッフ達にも共通の意識として持ってもらいます。…少なくとも自作品には…です。

さて、文中の北九州が舞台の映画「この胸のときめきを」は、「この胸いっぱいの愛を」ではないでしょうか?そして、70年代にタイムスリップではなくて、80年代ではないでしょうか?

何が書きたかったかと言うと、映画伝道師の映画評論にも、はやり、下調べというリアリティが必要だと思います。
失礼しました…。

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