チルソクに想う  映画つれづれ

……さて、七夕と言えば、「チルソクの夏」の話は外せないでしょう。早いもので、公開されて8年になります。

あの映画に出会ってなかったら、今の僕はありえません。それで、久しぶりにも今も閲覧できる「チルソクの夏」公式応援サイトを覗いてみました。

その中のイベントリポートの欄で、僕が下関で開かれたこの映画のサポートイベントで話した発言内容が残っていました。当時、応援フラッグ「チルソク・サポーターズ・フラッグ」を作り、山口県各地のチルソクファンの応援メッセージを書いて、それを全国公開の劇場に飾り、全国的にメッセージを発信して盛り上げようとしたのですが、そのことを、僕が語っていた部分です。↓

http://chirusoku.navitown.com/0608-02.html

「下関だけのヒットではだめなんです。周南が山口県の一番端ですけどそこからアンテナになって皆さんがバーッと押してくれたら、僕は今すぐ会社を辞めて大阪でも東京でも、どこでも行きます」なんて…。

よく臆面もなく言えたなあ、と思いますが、そのあと、本当に会社を辞めましたから…若かったなあ…。

「山口県から全国、宇宙へ。1000年後によその星でも上映されるような勢いでこの映画を応援していきたいと思います」この想いは、今も変わりません。永遠に「チルソク・サポーター」でいたい、と思っています。

「下関だけのヒットではだめなんです」と最初に言われたのは、実は僕じゃなく、この映画の最初のサポーターで、劇中でも現在の安君を演じていらっしゃる、故・松本敬一郎さんです。

松本さんは佐々部監督と一緒に「チルソクの夏」PRのために徳山に来られ、そのとき記者として取材をさせて頂いたのが、僕のすべての始まりでした。

これが佐々部監督との出会いです。そのあと、試写で「チルソクの夏」を観た僕は、この作品にすっかり魅せられてしまいました。

そのころ、偶然、監督の監督デビュー作「陽はまた昇る」も観ており、この作品も大好きだったことから、今に至る、監督への勝手な応援団が始まりました。

試写会の少しあと、松本さんが僕に言われたのが、先ほどの「下関だけのヒットじゃだめなんです」の言葉でした。

松本さんは続けて「下関だけでなく、周南や山口や宇部が、一緒になって燃える仕掛けを一緒にしませんか。この映画をきっかけに、山口発の映画で山口県全体が盛り上がる仕組みを、新たに作っていきましょうよ」と仰いました。この熱意に押されて浮かんだアイデアが、サポーターズフラッグでした。

下関でイベントプロデューサーとして活躍されていた松本さんだからこそ、の地元への熱い想いと先進的なセンスだったと思いますが、松本さんは公開後、若くしてこの世を去られました。

今思えば、このことがきっかけで僕は道を模索し、現在はイベント会社をやりながら映画に関わっているわけで…松本さんが佐々部監督との出会いを作って頂き、再び僕の「映画への夢」の扉を開き、導いて下さったのだ…と思うと同時に、人の出会いの大切さを、心から感じます。

運命の出会いを作って下さった松本さんに、心から感謝します。松本さん、ありがとうございました。

そして…この映画は、松本さんのほかにも、たくさんの大切な方々との出会いを作って頂きました。そして、その中には松本さんのほかに、チルソクの夜に輝く星になられた方たちがいらっしゃいます。

佐々部監督ご自身が、ほろ酔い日記で、その想いを寄せていらっしゃいます。↓

http://www.sasabe.net/hidiary/hidiary.cgi

KRYアナウンサーだった故・井上雪彦さん、我らが劇団厳流団長の故・カサブランカ礼子さん…。

そういえば、雪彦さんとの出会いが、雪彦さんの姪っ子さんである、二胡奏者のMIKIさんとの出会いになったんだっけ…そうだ!MIKIさんのCDのキャンペーンを和田山企画が企画して、下関シーモールに行き、ミニコンサートをしてCDを販売していたら、そこに偶然、カサブランカ礼子さんが通りがかって、「やっぱり僕たち、縁が深いんですねえ」って盛り上がったんだ…。

過去の出会いと別れがあるから、きょうがあり、そして未来を築くことができる。大切な方々の想いを心に留め、また頑張ろう、と思います。

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