2014/12/12

海原  nature
よし。そろそろ海へ出よう。

この旅を計画した時、海が見たいと強く思っていた。
数年前に友人がこの時期の道東の海岸線を見て欲しい。と言われていたのを思い出したからだ。

湿原から霧多布岬へ向けて走る。
海岸線にでると、そこにはなんとも言えないシンプルな光景が広がっていた。
低く黄色い笹が地表のほとんどを覆い、背がひときわ低いミズナラなどが点々としか存在せず、
その向こうには果てしない海があるだけ。
この湧いてくる感情をどう表現すればいいのか解らずじまいで、結果的に撮れなかった。
この感覚はいまでもくすぶっている。

日没直前に霧多布岬に着いた。
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右から左まで水平線だなんて本当に久しぶりだった。
夕焼けで変わりゆく空の色の美しさ、夕陽と満月の存在感に安らぎを感じた。
それとは対照的に日が暮れた後のうねる大海のエナメルチックな深い色合いに、恐怖と言うか吸い込まれてゆく何かを心の奥で感じていた。
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このまま隣の落石岬で撮影をしようと思っていたのだが、
海への感情を整理できないままでいたので、今回は見送って根室の春国岱へ行ってみた。
実を言うと、まだ見ぬこの場所で撮れるであろう風景が、すでに脳の中に出来上がった状態で見えてしまったからだった。
「呼ばれている」という感覚に間違いはない。

夜中に到着して車を降りると、頭に出てきたイメージそのもので驚いた。
「あとは、、、月か。。。」
数時間だけ眠り、カメラをセットした時にはまさしくその風景がそこにあった。
もう驚きもせずただ淡々とその風景に心を浸しながら、目覚めてゆく湿原の声たちを聞いていた。
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夜が明けて朝食を頬張ると木道を歩きだす。
春国岱は根室半島の付け根にある3連の砂州でできた海岸線だ。
人にとっても野生生物にとっても大事な猟場で、互いの共生が昔から成り立っている場所らしい。
少し進むと目線が合った。 エゾシカだ。
僕は枯れたアカエゾマツのように動きを止め、視線を外してあげる。
5分、10分もたったろうか、向こうは僕を危険な対象から少し除外してくれたようで草を食べ始めた。
僕も顔を合わせないように動き出し、少しずつシャッターを押す。
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海風にさらりと揺れる葦から見える彼らの自然体はとても優しかった。

それにしてもこの時期の春国岱の風景に驚いた。
なんというか、、、
わずかに残る色だけが、せめてもの救いだった。 という感じだろうか。。。
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『厳しすぎる』といえばそれまでなのだが、どうやらそれだけでない感じが滲んでいた。
友人の言っていた意味がほんの少しつかめたような気がした。
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