日比谷音楽倶楽部という、有名な洋楽に乗せて日本のフォークを歌うという企画ユニットがあり、横浜銀蠅の翔や、マンガ家の一本木蛮が参加していた。何年も前、テレビでエリック・クラプトン「いとしのレイラ」の曲に乗せてかぐや姫「赤ちょうちん」を歌っているPVを偶然見ておもしろいと思い、後日中古CDを購入した。
数日前にこの曲のことを思い出し、YouTubeで検索してみたら見つかったのでアップ。
それはそれとして、「赤ちょうちん」の歌詞にはいくつか気になる所がある。
「赤ちょうちんに誘われておでんを沢山買いました」
というフレーズがあるが、お酒をちょっぴり飲むことが月に一度の贅沢だったり、雨が降るとキャベツばかりを齧っているような貧しい生活をしているのなら、赤ちょうちんで買わずにスーパーなどで具材を買ってアパートで作った方が安上がりなのではないか。この歌の時代背景は70年代前半ぐらいだが、この頃はおでんは家庭では作らず買うのが当たり前だったのだろうか。
それとは別に考えられるのは、主人公達の暮すアパートは貨物列車が通るとゆれるようなボロアパートのようなので、トイレや台所などは共同の可能性が高い。以前、店で買わずに安く上げようと台所で作っていたら同じアパートに住む貧乏大学生(もしくは浪人生)が匂いを嗅ぎつけて来て、「おでんですか。いいですね。僕もご相伴に預かれませんか?」などとたかられたことがあったのではないか。団塊の世代は図々しいのでそういうことを平気で言うに違いない。そして、2人の部屋に手土産も持たずに上がり込んで遠慮せずに食べまくり、隠していた安い日本酒も見つけられて飲まれてしまい、酔ったあげくの青臭い政治論もぶちかまされ、「いや、どうも御馳走様でした。僕はこれにて失礼。おやすみなさい」と言って去って行き、すっかり機嫌の悪くなった彼女を彼氏が必死になだめた。そんなことがあったのではないか。だから、高くついても店で買って見つからないように部屋で食べたのではないか。
そういう風に想像したが、もしかしたら単に料理の出来ない彼女だったのかもしれない。この歌の2人は別れてしまうのだが、稼ぎの少ない男に料理の出来ない女ではそりゃあ持たないだろう。公衆電話で膝を抱えて泣かれてもあまり同情は出来ない。
かぐや姫の別の歌について、「赤い手拭いなんて存在するのか?」という疑問もあるが、それはまた別の機会に語りたい今日この頃。
https://www.youtube.com/watch?v=vRIIs_8AwnI