奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2019/12/11

嵯峨天皇皇子源融  天皇陵巡り番外
 クリックすると元のサイズで表示します
 八瀬大原を抜けて、途中峠を越えて、滋賀県までよく車で行きますが、滋賀に入ってすぐの伊香立(イカダチ)の道路沿いに融神社の看板があって、「なんでここに融神社があるんだろう?」といつも思いながら走っていました。
この辺は融公の荘園があったからでした。
 クリックすると元のサイズで表示します
 やっと今回この融神社にお参り出来ましたが、綺麗に整備されています。
融公を祀る全国唯一の神社だそうです(滋賀県大津市伊香立)。
 源融(ミナモトノトオル)(822〜895)は第52代嵯峨天皇と女宮の大原全子(オオハラノゼンシ)との間に産まれた皇子ですが、なんせ嵯峨天皇には50人ほどの子供がいたので、源氏の姓を賜り臣籍に降下しています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 周りの公家が亡くなったり、応天門の変(866年)などで失脚したので、急速に昇進し、左大臣まで上がっています。
 三代下になる第57代陽成天皇譲位の時には、自分も次期天皇に成る資格があるとも言ったかどうか、これは藤原基経(モトツネ)に、源氏に降下した後に即位した例はないと阻止されています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 源融の宇治の別邸は、後に藤原氏により平等院になりましたし、鴨川河原近くにあった六条河原院は、みちのく宮城の塩釜を摸した庭園があって、今も枳殻邸(キコクテイ)として残っています。
このため融公は、正一位河原左大臣と呼ばれていたそうで、小倉百人一首の14番に和歌が残っています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 又山荘であった栖霞観(セイカカン)は、この嵯峨釈迦堂清凉寺(右京区嵯峨釈迦堂)の境内にありましたし、
 クリックすると元のサイズで表示します
この境内に同じくある、以前は御陵とされていた嵯峨天皇・檀林皇后宝塔の横には、源融の墓がありました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 この宝塔が墓所のようです。
嵯峨天皇の子供50人のうち、一番贅沢に生きたようで、「源氏物語」の光源氏のモデルであるとも言われてるのがこの融公です。

       返事
花水木さん:傾城(女郎)やまくらの字だけで、
    色っぽいと感じた私ですが、句の意味はもひとつ解かってないと思いますよ。
     まあ、紅葉を通り越して冬に入った私の姿より、
    紅葉の方が良いのは当たり前ですね。

2019/12/7

52-3嵯峨天皇皇女有智子内親王  天皇陵巡り
 クリックすると元のサイズで表示します
 島から戻って最初の元旦、嵯峨野を二人でブラブラした時の写真です、左に御陵らしき森と鳥居、右に見える藁ぶき屋根が落柿舎(ラクシシャ)です。
長崎生まれで芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人向井去来(ムカイキョライ)の別荘が、この落柿舎です。
(庵周囲の柿が、一夜にして全て落ちたので、この名があります)
 クリックすると元のサイズで表示します
 ブログを始めた頃に、島から訪れた長崎市内にある、坂本龍馬も遊んだ有名な料亭「花月」の入り口に、向井去来の句碑があって、この写真も掲載し紹介したことを思い出しました。
(10年以上前の若き?私の姿ですが、まだこのシャツやズボンを着てると思います)
    いなずまや どの傾城の かりまくら
 色っぽい俳句なんですかね
 クリックすると元のサイズで表示します
 この左の陵墓が、嵯峨天皇第8皇女の有智子内親王(ウチコナイシンノウ)(807〜847)の墓(右京区嵯峨小倉山)で、母は交野女王(カタノノジョオウ)です。
 なんでこんな墓が残ってるのかと言えば、
 クリックすると元のサイズで表示します
 810年薬子の変の時に、「勝てば私の娘を賀茂大神に捧げる」と、嵯峨天皇は祈願したので、勝利後初代賀茂斎王(イツキノヒメミコ)として4歳の有智子を任命しました。
(現在の葵祭では一般人を斎王代として選んでいます)
 クリックすると元のサイズで表示します
 また、嵯峨天皇の多数の皇子女の中で、有智子内親王は文才に恵まれ、数少ない女性漢詩人でしたので、墓が残るそれなりの理由はある内親王だったようです。

    返事
花水木さん:「灯台下暗し」で、
    思わず福江島の大瀬崎灯台を思い出してしまいました。

2019/12/4

紅葉狩り6  京都
クリックすると元のサイズで表示します
 昔から、やりたいことはなかなか始められず、やめなさいよと言われたらなかなか止めずに、過ごしてきましたので、紅葉狩りももう6になったのに、まだ続けています。
多分これで今年最後の紅葉狩り、近くの宝ヶ池を散策。
宝ヶ池と比叡山の秋というか初冬の朝です。(12月になりました)
  クリックすると元のサイズで表示します
 日曜日朝、犬もいないし孫も連れてませんが、老夫婦が暇つぶしに朝の散歩。
近場の紅葉も捨てがたいですね、色々紅葉狩りに行きましたが、結局青い鳥は近くにいたのかもしれません。
 クリックすると元のサイズで表示します
 まだけっこう紅葉も残っていました。
桜と違って、紅葉は2週間以上楽しめますね。
 クリックすると元のサイズで表示します
 まだグラディエーションも楽しめます。
 クリックすると元のサイズで表示します
 陽があたったら紅葉はより映えますね。
なかなか良い構図と思って撮っても、出来上がりはまあまあでした。
 クリックすると元のサイズで表示します
 京都国際会議場近くまで廻りこんで、もう一度比叡山を写しました。
これで今年の紅葉は終わりです(たぶん)。
来年もまた、紅葉をいろんな所に見に行けるぐらい元気であることを祈ります。

     返事
花水木さん:沼津でボー、が一番ですよ!
     紅葉と楓、私もなるほどとは思いましたが、
    他の区別の仕方もあるというか、元々区別できないものか分かりませんので、
    あまり信用しないでください。
タグ: 近所 宝ヶ池 比叡山

2019/12/1

紅葉狩り5  
 クリックすると元のサイズで表示します
 紅葉狩り5は、もう一度遠出と言っても、車で2時間ほどの湖北を目指しました。
北陸自動車道木之本ICで降りる前のパーキングエリアから、1週間ほど前に初冠雪した伊吹山を望みます。
深田久弥の日本百名山に選ばれている伊吹山、近くで見ると大きな立派な山です。
私が登頂した百名山は、この伊吹山と乗鞍岳の2峰のみです。
 クリックすると元のサイズで表示します
 島から帰ってから知った滋賀県の紅葉の名所、湖北に三つほど集まっていて、すごい人のようなので、11月27日で紅葉散策期間が終了したのを待って、朝早くから出かけました。
 臨時駐車場には入れて(無料)、少し歩いてまずは與志漏神社(ヨシロウジンジャの紅葉。
 クリックすると元のサイズで表示します
 少し上の観音堂まで登って、山の紅葉を鑑賞。
全体に紅葉のピークは過ぎていますが、それでも人はそれなりに来ています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 手の指以上に別れた葉っぱが落ちていました。
カエデとモミジの区別が、完全ではないですが分かりました。
葉の切れ込みが深いカエデをモミジと言い、
葉の切れ込みが浅いカエデをカエデと言うらしいです。
日本以外は、こんな区別は付けず、全て楓と言ってるようですよ、自信はないですが。
 クリックすると元のサイズで表示します
 これは紅葉(モミジ)。
 クリックすると元のサイズで表示します
 これは楓(カエデ)。
 クリックすると元のサイズで表示します
 この地の紅葉狩りの目玉は、鶏足寺(ケイソクジ)参道石段の散紅葉。
このピークにはもっと赤く、木々にも赤紅葉が残ってるようなので、この写真よりもずっと綺麗な景色だったと思います。
こんな田舎にも、外国人旅行者がたくさん来てるので、驚きます。
 クリックすると元のサイズで表示します
 人が多い散歩道を少し歩いて、石道寺(シャクドウジ)へ(全て無料)。
その後は脇道を廻って駐車場にたどり着きましたが、一歩脇道に入ると見物客はいません。
この日も早く出て、早く帰って競馬、そして日曜日は少し散歩しただけで、午後はラグビー・マラソン・アメフト・ゴルフを観ながら、また競馬ですが、土日共に一つも入らず終わりました。
たくさんのレースを買いたいので、買い目を絞りすぎと高配当を望みすぎの結果です。

     返事
和さん:私が入れてもらったのは、
    Spotifyという音楽配信のアプリです。

2019/11/29

紅葉狩り4  京都
 クリックすると元のサイズで表示します
 水曜日朝は、京都の北、岩倉にある精神病棟の外科処置で働いていますが、隣の老健からお呼びがかかって出張もしました。
その老健の横には、紅葉も綺麗な冷泉天皇皇后陵もあるので、合わせて天皇陵巡りも出来ました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 出張の帰りに少し寄り道して、白衣のまま岩倉実相院の門前まで紅葉見物。
実相院は最近「床もみじ」が有名になって、観光客も多いです。
さすがに拝観はせずに、門前だけでまた病院に戻ります。
 クリックすると元のサイズで表示します
 午後からはまた近くの病院に自転車で行きますが、これは仕事ではなく入院してる友達の見舞いです。
 その病院は深泥池(ミドロガイケ)の端にあるので、丁度自宅の裏山の裏側にあたります。
病院入り口辺りの紅葉と、背景の山の向こう側が私の家、荒涼感あるのが深泥池の浮島部分か池周囲の湿地帯です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 今週金曜日は休みなので、朝早くから水尾の山奥に有る第56代清和天皇(セイワ)陵に天皇陵巡り。
JR保津峡駅まで行って、そこから水尾自治会バス(250円)に乗って水尾を目指しました。
昔はよく乗った山陰線ですが、JR保津峡駅は新しい路線、保津川をはさんで旧山陰線の保津峡駅(赤紅葉の辺り)が見えますが、それは今は、旧山陰線を走るトロッコ列車の保津峡駅になっています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 自治会バスを水尾で降りてからも、20分ぐらい山道の参道を歩いてやっと御陵に到着。
ほぼ植林された杉林ですが、ところどころこんな紅葉も見られます。
 クリックすると元のサイズで表示します
 水尾は柚の村、民家近くは柚ばかり、丁度収穫時か、実る黄色の柚と山の紅葉です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 写真の黄色いのは柚なんですが、うまくピントがあってなく、上手な写真になりません。
 クリックすると元のサイズで表示します
 帰りの自治会バスは夕方までないので、約4qの自動車道を歩いて駅まで戻りますが、全部下り道なので意外と楽も、最後は少し膝が笑いました。
 携帯の音楽配信(無料版)で、中島みゆきや吉田拓郎を聞きながら下りたのも、楽だった原因かもしれません。
若者が携帯のイヤホンで聞きながら街を歩いてるのも、これなんですね。
 クリックすると元のサイズで表示します
 山奥の紅葉も、綺麗ですし、天気が良いとやっぱり紅葉は綺麗ですね。
 クリックすると元のサイズで表示します
 JR保津川駅は高い鉄橋の上に作られました。
駅の影が映る保津川に、丁度保津川下りの舟が下ってきました。
中学生の頃、旧保津川駅で降りて、友達とこの保津川を泳いでいましたが、ここがたぶん落合と言う所、毎年水難事故が起こってた所ですが、水泳は上手とは決して言えない私が、無事に死なずに、約60年後にここを見下ろしているのも不思議なものです。

     返事
花水木さん:同窓会も、
    胸のときめきが無くなってきましたね。
    寂しいですね。
       紅葉狩り4です。

2019/11/25

紅葉狩り3  京都
 クリックすると元のサイズで表示します
 京都の紅葉ももうそろそろ終わりか、道路にも枯葉が舞うようになりました。
週末は娘の運転で南へ向かい、鴨川に沿って走る車中から紅葉見物。
 クリックすると元のサイズで表示します
 京都国立博物館で開催中の「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」に行きました。
1巻丸々ではあまりにも高価過ぎて、絵巻を切って売りに出されたので有名な三十六歌仙絵ですが、もっと小さい絵巻の絵かと思ってましたが、意外と大きかったです。
したがって人物絵は判りますが、歌の字はまったく読めません、横に書かれた解説で小倉百人一首の歌は判りました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 この展覧会でなによりも良かったのは、十月三十日の本ブログ「藤原俊成の墓」で、気にいった墓石(右)と紹介した兆殿司の吉山明兆(キチザンミンチョウ)の描いた「柿本人麻呂像」が陳列されていたことです。
思わず「僕この人知ってる」と、声を出しそうになりました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 秋も深まって博物館中庭の噴水も寂しそう、ロダンの「考える人」の背中も寂しそうでしたが、「考える人」に出会うといつも、旧奈留小学校の校庭に「二宮金次郎」ではなく何故か有った「考える人」を思い出します。
今年もナルナリエはしてるのでしょうか?
 クリックすると元のサイズで表示します
 私の龍池小学校の同窓会も金曜日に有りました。
い・ろ・は組計150人の同級生の内30名、約2割の出席です。
約1割が亡くなっていました。
 そんな70過ぎの同級生の集合写真より、裏庭に見える「妙」の紅葉の方を掲載します。
 クリックすると元のサイズで表示します
 本日月曜日、雨の予報なのでいつもの自転車通勤ではなく、地下鉄で外来診療に。
相国寺を抜けていきますが、境内の紅葉はまだ綺麗でしたので、「紅葉狩り4」もいけるかも。

      返事
和さん:今回の写真では、
    あまり「行った気分」にさせられませんね。
      ごめんなさい
花水木さん:京都は住む所ではないですね。
    寒くて暑くて、それに海が無い、 
    ぼーっとしてる場所がないです。

2019/11/23

紅葉狩り2  京都
 クリックすると元のサイズで表示します
 本日土曜日も良い天気ですが、先週の日曜日も秋晴れの良い天気で、比較的近場の秋を楽しみました。
平安京の鬼門を守る、比叡山麓の赤山禅院です。
 
 クリックすると元のサイズで表示します
 その日も朝早くに家を出たので、思いのほか観光客も少なく、外国人らしき人はまったく見なかった赤山禅院で、紅葉は見頃でした。
 クリックすると元のサイズで表示します
 紅葉をいかに撮るかもなかなか難しいですが、朝早いので逆光も良い感じでしたが、撮った写真は少し暗かったです。
 帰りの山門で1枚、そろそろ観光客が増えてきました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 赤山禅院から少し歩いて、40年ぶりぐらいに曼殊院門跡に入りました(600円)。
境内の庭にはあまり紅葉はなく、室内は撮影禁止です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 曼殊院の紅葉は、外の土塀周りの方が綺麗で、紅葉だけなら600円払って入るより、外側の紅葉だけ観て帰っても充分です。
 ゆっくり帰ってもまだ11時前、コロッケとトンカツのランチを食べて、バスに乗って帰りました。

     返事
花水木さん:年とって奥さんに頼る旦那は多いですが、
    旦那に頼る奥さんは少ないということでしょうね。
    頼ってほしいですが。
     金は貯めるものではなく、人の為そしてちょっとは自分の為に使うものと、
    思いますがなかなか難しい!
和さん:鞍馬山も長く行っていません。
    貴船への道は再開されてましたか。

2019/11/20

紅葉狩り1  
 クリックすると元のサイズで表示します
 あっという間に寒くなって、紅葉もそろそろ見頃になった先週金曜日。
まずは近くの宝ヶ池周囲を孫V-1と三人で散歩。
遠くの比叡山もそろそろ秋色になってきました。
 クリックすると元のサイズで表示します
 天気はあまり良くなく、北は雨が降るかもの予想があった土曜日。
蟹を食べるために、朝早くから北陸に向かいました。
 途中通過する湖北のマキノ近くにある「もみじ池」が、紅葉の穴場で綺麗と聞いたので、寄ってみました。
到着したのは8時前、さすがに穴場、人っ子一人いない穴場でした。
 クリックすると元のサイズで表示します
 池に映る紅葉と、用途不明の朽ちた木橋が、なかなか良い雰囲気を作り上げています。
朝早いせいか、曇ってるせいか、やや寂しい感じで、やはり紅葉は太陽が当たってなんぼですよね。
 クリックすると元のサイズで表示します
 越前海岸に着いたのが、昼ご飯には早すぎたので、ゆっくりと「北前船主の館・右近家」を見学しました。(500円)
 右近家は江戸時代の北前船主として繁栄しましたが、北前船の衰退と共に蒸気船を購入し、新たな海運業者としても繁栄し続け、その後は海上保険業に進出し、日本海上保険株式会社を設立しています。
このためずっと金持ちで居続けられ、明治34年に建て替えられたこの大きな屋敷を、今も維持し続けられてるようです。
 クリックすると元のサイズで表示します
 屋敷の背後に昭和初期に作られた山小屋風の西洋館、この建設にあたって、近在の村の男女1万人ほどが動員されたそうです。
でも館の案内人に尋ねると、これは村の貧しい人たちを助けるために、寄付とか施しではなく、賃金という形で村に還元する目的で、この西洋館を建てたそうで、損保ジャパン日本興和の創業者はなかなか偉い人ですね。 
 クリックすると元のサイズで表示します
 西洋館のテラスから、大金持ちのように日本海を眺めます。
海が見える景色は、庶民でも良い気持ちになります!
 クリックすると元のサイズで表示します
 西洋館のさらに上には、展望台や展示館もあって、庭園の紅葉越しにも日本海が見えます。
 展示館に、戦後生まれですが、小学校のころまでは軍神好きの私が憶えていた、「杉野はいずこ」で有名な広瀬中佐の資料が飾ってありました。
右近家と広瀬中佐はどこで繋がってるのかと思いましたが、日露戦争の旅順港閉塞作戦で広瀬中佐が港の入り口にわざと沈めた船が、右近家旧所有の福井丸だったからでした。
 クリックすると元のサイズで表示します
 その後前回報告の越前ガニをたらふく食べて、越前大野城に向かいました。
到着の頃には雨がけっこう降ってきていて、お城に登る気にはなれませんでした。
大野までは3回以上は来てるのに、まだ越前大野城には登城してません。
名物の越前そばも醤油カツ丼も入る余裕はなく、別腹のジェラードを食べて、麓の駐車場の紅葉越しに雨に煙る天守を眺めただけで帰途につきました。

      返事
じょんのびかあさんさん:旦那さんのブログはチェックしてますよ。
     若狭のトラフグも食べたくなりました。
花水木さん:私も1分でも行列は並ぶの嫌いでしたが、
    島に行って、船をゆっくり待つ習慣が付いてからは、
    少しは並べる人間になっています。
     私の趣味はずっと家内ですが、
    家内の趣味が最近は私でないのが、少々気がかりです。

2019/11/17

今年の蟹  
 クリックすると元のサイズで表示します
 先週は遠回りで高雄から名田庄を抜けて、例によって小浜に行きました。
途中寄った名田庄の道の駅の紅葉などもまだもう少し。
 クリックすると元のサイズで表示します
 セコ蟹を小浜漁港で買って帰り、夕食に食べました。
山陰や福井で育った知り合いや友達は、「子供の時はおやつ替わりに食べていた」「本当はセコ蟹の方が美味い」と言ってました。
セコ蟹、松葉蟹のメスですね、コッペとも言います。
 クリックすると元のサイズで表示します
 自分の金で買う頃には、もう1匹500円ぐらいはしてましたが、最近は1匹800〜1000円ぐらいもしますので、子供のおやつではなくなっています。
 今回ははりこんで、なんとタグ付きの大きなのを、セコ蟹としてはびっくりするような値段で買いました。
 一人で1匹、セコ蟹は味噌が美味いです。
 クリックすると元のサイズで表示します
 今週は、やっぱり越前ガニ(松葉ガニ)が食べたいと、越前海岸までドライブ、いつもの越前の道の駅は「カニ祭り」の様で、駐車場にも入れないぐらいでした。
諦めてもう少し走り、まったくの飛び込みで蟹の店に入り、少々値は張りましたが、これが大正解。
まず出てきた頼みもしない刺身盛り合わせ、これがすべてかなり美味い!
五島から帰ってから食べた刺身の中で、一番美味しかった刺身のようです。
 クリックすると元のサイズで表示します
 いけすの中のタグ付き越前かにを選んで、その場で茹でてもらい、1匹を二人で食べました。
  美味しい!! 生きててよかった!!
三杯酢なんかつけずに、そのまま食べます!
会話なんかはずまなくても、十分です、黙々と食べ続けました!
 クリックすると元のサイズで表示します
 この店は最後に、ほぐした身と味噌を混ぜて、これに大根おろしと少しの醤油を垂らして、ご飯に載せて食べるように勧められました。
もう食べられないのに、これを完食して動けません。
 クリックすると元のサイズで表示します
 店の壁にメイショウの馬たちの写真も貼ってあったので尋ねると、メイショウの馬主さんが贔屓にしてる店だそうです。
あやかりたいと思いましたが、本日のマイルチャンピオンもせっかく池添が来たのに獲れませんでした。

2019/11/13

52-2嵯峨天皇皇后橘嘉智子  天皇陵巡り
 クリックすると元のサイズで表示します
 愛宕神社一之鳥居前にある平野屋を以前紹介しましたが、ここで昼食を食べた時の目的地は、この左手の道しるべの道を行った嵯峨陵(サガノミササギ)(京都市右京区嵯峨鳥居本)です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 嵯峨陵にはこの道しるべから500m程、車の通る道を歩いてすぐでしたが、この道は水尾にまで続いているので、歩いてはしんどいですが、清和天皇陵の参道にもなっています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 道路から参道に入る入り口が見えてきましたが、やっぱりまだ通行止めでした。
 4月24日のこのブログでも紹介した橘諸兄、その息子で藤原仲麻呂(恵美押勝)に対抗して反乱をおこし(757年)獄死した橘奈良麻呂、この乱の直後に産まれた奈良麻呂の息子橘清友(タチバナノキヨトモ)、その清友の娘が今回の第52代嵯峨天皇皇后の橘嘉智子(タチバナノカチコ)(786〜850)です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 ここで通行止め、しっかり閉ざされていました。
破門する気になれば行けなくもなかったですが、年とってからは法を犯す気がなくなっています。
 嵯峨天皇が即位した時、桓武天皇皇女で異母妹の高津内親王(コウズ・タカツナイシンノウ)(?〜841)が妃となり、二人の間に産まれたのが業良親王(ナリヨシシンノウ)(?〜868)です。
血統から言えば次期天皇の候補であるべき業良親王は、精神的に不安定だったようで、それが原因かどうか高津内親王は妃をすぐに廃されしまいました。
裏では陰謀があった可能性大の状況ですね。
 その頃に、少し遅いですが23歳で嵯峨天皇に入内したのが嘉智子です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 塀の上からのぞくと、奥に続く参道には倒木もあって、まあ宮内庁がせっかく通行止めにしているので、山奥でちょっと怖いと思うこともあって、ここから参拝です。
 クリックすると元のサイズで表示します
 参拝したらこんな感じと、案内板の写真でお許しください。
嘉智子は正良親王(マサラシンノウ)(後の第54代仁明天皇)と、たぶん双子の正子内親王(マサコナイシンノウ)(後の第53代淳和天皇皇后)の他に、2男5女をもうけていますので、すごい美人だったこともあって嵯峨天皇に愛されたのだと思います。
それでも嵯峨天皇は、他に30人の妃に50人の子供ももうけていますがね。
 クリックすると元のサイズで表示します
 その後815年に皇后になった橘嘉智子、祖父の橘奈良麻呂が逆賊として獄死していることを考えると、不思議な運命ですね。
 仏教に深く帰依し、嵯峨野に今はもうありませんが、日本最初の禅院である檀林寺(ダンリンジ)を創建したことから、檀林皇后とも呼ばれています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 遺体は埋葬せず、帷子ノ辻(カタビラノツジ)に放置して、腐乱・白骨化していく様を描かせたという伝説もあります。
九相図(クソウズ);打ち捨てられた死体が、朽ちて行く過程を9段階に分けて描いた仏教画。
 檀林寺跡に建った大覚寺近くの嵯峨釈迦堂清凉寺、その境内には嵯峨天皇・檀林皇后の宝塔が並んでいて、手前が檀林皇后の宝塔です。
明治以前はこれが御陵とされていたそうです。
 クリックすると元のサイズで表示します
 梅宮大社(ウメノミヤタイシャ)は橘氏の氏神として京都の南の井手町にあったのを、嘉智子がここ嵐山の南、松尾大社と桂川をはさんで反対側に移しています。
 クリックすると元のサイズで表示します
 皇后は皇子に恵まれなかったので、梅宮大社の奥の神殿横にあるこの「またげ石」を跨いで、子を授かったどころか7人もの母親になってますので、この周囲の白砂は安産のお守りとされています。

      返事
花水木さん:逆でしょうと言われましても、
    奥さんの写真の裏に小百合さんの写真を入れて、
    隠れキリシタンのように眺めているのがばれたら、
    それこそ、逆さ水責め・いびり火あぶりの刑が処せられるので、
    やっぱり小百合さんの写真の裏に家内の写真ですよ!
    まあ、今は入っていませんが。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ