奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/11/10

40−2天武天皇皇妃大田皇女  天皇陵巡り
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 37−1斉明天皇と36−2孝徳天皇皇后間人皇女の越智崗上陵と38−3天智天皇皇子建王墓に登っていく200段ほどの写真右の石段、その途中に天武天皇皇妃大田皇女墓(オオタノヒメミコノハカ)はあります。
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 40−2大田皇女(オオタノヒメミコ)(〜667年20代で没だろう)、父は38−1天智天皇で、母は遠智媛(オチノイラツメ)です。
同母妹の鸕野讃良皇女と共に、大海人皇子の妃となり、大来(大伯)皇女(オオクノヒメミコ)と大津皇子(オオツオウジ)を産むが、大津皇子がまだ5歳の時にもう亡くなりました。
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 大海人皇子が40⁻1天武天皇になった時に妹の鸕野讃良皇女が皇后になったのですから、亡くなってなかったら当然姉の大田皇女が皇后になったと思います。
そうなれば、息子の大津皇子は立派な皇子だったので、謀反の疑いで殺されることもなく、すんなりと天武天皇の次期天皇になって、歴史はまた少し変わったかもしれません
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 同母弟の建王(禁断の恋が正しければ異母弟かもしれませんが)が658年に夭折し、父方祖母の37−1斉明天皇が661年に亡くなり、叔母(父の妹)の36−2間人皇女(禁断の恋なら建王の母に成る)が665年亡くなり、667年にやっと斉明天皇の葬儀が行われ、上記3人が同じ陵に合葬された時、同じく667年に没した大田皇女もこの陵の下近く越智崗上墓(オチノオカノエノハカ)に葬られたようです。
 
タグ: 天皇陵

2018/11/11  18:33

投稿者:花水木
申し訳ございませぬ・・・。(土下座)
バタバタしていて、読んでもコメントする気持ちの余裕と時間が無くて、失礼しました。

生きてくだけでも大変なのに、天皇の地位を巡りややこしすぎる相関図。

シンプルに生きて行きたいです。無理だけど。

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