奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2021/2/12

81-1安徳天皇  天皇陵巡り
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 第80代高倉天皇の第1皇子で、母は平清盛の娘で中宮の徳子(建礼門院)の言仁親王(トキヒトシンノウ)は、祖父清盛の期待を一身に集めて生後すぐに立太子し、わずか2歳で即位し第81代安徳天皇(アントク)(1178〜1185)(在位1180〜1185)となりました。
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 1183年に木曽義仲が挙兵し京都に迫ったので、平家一門は幼い安徳天皇を擁し、三種の神器を持って西へと落ちのびて行きました。
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 1185年に木曽義仲を討った源義経は、屋島で平家に大勝し、最後関門海峡の壇ノ浦で平家をせん滅したので、安徳天皇は祖母である清盛の妻二位尼時子に抱かれ入水、三種の神器の内の宝剣は、今もこの海底に眠ってるはずです。
  写真は、門司から関門海峡を挟んで対岸の下関を眺めています。
この後関門トンネルを歩いて渡り、御陵を参拝などして、また定期渡し船でこちらへ戻ったのは、島に居た10年以上前のことになります。
 中央の竜宮城の様な建物が赤間神宮(アカマジングウ)
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 安徳天皇はわずか8歳で亡くなったので、もちろん未婚でしたが、未婚のまま亡くなった歴代男性天皇は、13歳で亡くなった先々代の第79代六条天皇と、生まれながらにして白髪だったと言われる第22代清寧天皇の3人だけです。
  写真は、逆に赤間神宮の水天門から見た関門海峡ですので、門司が見えています
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 安徳天皇の遺体はあがってないので、落ち延びて行ったという伝説は沢山あるようですが、一応御陵は赤間神宮境内に明治になってから出来た阿弥陀寺陵(アミダジノミササギ)(山口県下関市阿弥陀寺町)で、陵はお寺形式になっていました。
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 陵の傍には、壇ノ浦で滅んだ平家一門の墓も並んでいましたが、名前に「盛」が付く7人の墓が前列に並んでいるので「七盛塚」とも呼ばれていますし、後列には二位尼の供養塔もあるようです。
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 日本史の中でも超有名な源義経ですが、彼の最大の失敗は安徳天皇をみすみす死なせたことで、それだけならまだいいのですが、三種の神器の一つ宝剣を取り戻せなかったことでしょうね。
これで兄頼朝と対立してしまい、悲劇の道を歩むようになったと思いますが、まあその分後世の人気は出たのかもしれません。
 写真は門司港から見た関門海峡大橋ですが、このどこかに今も宝剣は沈んでいるはずですので、この宝剣を見つけるTV でもやってほしいです。
万一出て来たら、それこそ世紀の発見ですよ! 

        返事
toitennさん:現状維持でいこうとした饅頭屋は、
    やっぱり何百年はもたなくて、
    先進的なものも取り入れて、日々前進しようとするが拡張はしない、
    小さな饅頭屋さんが、生き残ってきたと思います。
    私は基本保守の現状維持派なので、トップには向かないし、
    ゆっくりと滅びる種族だと思います。

2021/2/13  22:19

投稿者:toitenlabee
前進するが、拡張しない。先生に「しては」←真面目で、素敵なお言葉wですね。
いずれみな滅びるのですから、生きてるうちだけ生き延びましょうw赤間神宮私も行きました。その反対側も好きで何回も行ってます。

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