奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2021/7/14

93-1後伏見天皇  天皇陵巡り
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 第92代伏見天皇(1265〜1317)(在位1287〜1298)の第1皇子として生まれた胤仁親王(タネヒトシンノウ)、母は典司五辻経子(ケイシ)だったので、子のなかった太政大臣西園寺実兼(サネカネ)の娘で中宮だった西園寺ショウシの猶子となりました。
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 胤仁親王はわずか1歳にして父伏見天皇の皇太子にたち、11歳で第93代後伏見天皇(ゴフシミ)(1288〜1336)(在位1298〜1301)として即位し、父伏見上皇の院政が始まりました。
 後伏見天皇は西園寺実兼の孫娘西園寺寧子(ネイシ・ヤスコ)(1292〜1357)を女御として3男2女をもうけ、その内に北朝第1代光厳天皇と北朝第2代光明天皇がいます。
 その他にも6人の妃にたくさんの皇子女をもうけています。
  祖父後深草・父伏見の次に後伏見の名が並んだ制札です
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 なんか武家社会の支配下に置かれるようになった承久の乱(1221年)以後の天皇は、政治主導が出来ない分、手当たり次第に身近の女官などに手を出し、産まれた皇子は法親王として日本中の寺々の座主・門跡として配っていたような気がしますが、こんなことを書くと戦前なら不敬罪でしょうね。
  深草北陵の正面です
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 後伏見天皇の養母の父で、妻の祖父でもある西園寺実兼(1249〜1322)は、それこそ第88代後嵯峨天皇の上皇時代から、第96代後醍醐天皇の時代まで、9代の天皇に仕えた実力者で、1269年関東申次に就任し、鎌倉幕府と共に大覚寺統・持明院統の皇位継承権を握る立場にいました。
  嵐山に有る火葬塚は、元々の後嵯峨は良いとして、別れた敵の大覚寺統の亀山と同じです
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 実兼の妹嬉子は、第90代亀山天皇の皇后でしたが、亀山に余り愛されてなかったので、実兼は亀山の大覚寺統を見限って持明院統の伏見・後伏見天皇の即位を実現させました。
しかし伏見院政下で、本来は歌人で実兼の家来にすぎなかった京極為兼(キョウゴクタメカネ)が頭角を表わし、家来が主人を凌駕するようになったので、実兼は今度は元の大覚寺統に鞍替えし、結果後伏見天皇はわずか3年にしてた退位し、皇太子であった後宇多の皇子が大覚寺統として第94代後二条天皇になりました。
 こんな個人的な見栄や血縁で、天皇も決まっていたんですね
  これも嵐山亀山公園内の火葬塚です
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 1331年大覚寺統の後醍醐天皇が討幕の兵を挙げましたが失敗し、息子光厳天皇が持明院統として即位したので、後伏見上皇による院政が開始されましたが、1331年足利尊氏の入京で光厳天皇は廃位されたので、後伏見の院政も停止されました。 
後伏見はその後出家し、崩御後深草北陵(フカクサキタノミササギ)(伏見区深草坊町)に葬られています。

        返事

Toitenlabeeさん:「見た目もダンデイだし、綺麗!」
    と、何万回も聞いてきたお褒めの言葉を糧に、
    これからも生きて行きます。ありがとう!
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