680年、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願した。しかし686年に天武天皇は崩御し皇后が称制(天皇職務の代行)の期間を経て持統天皇として即位した。持統天皇は、本格的な都城の建設に取りかかり、694年に藤原京に遷都した。
698年(文武天皇2年)に、持統上皇によって薬師寺講堂本尊の開眼供養が行われたが、このころにはほぼ堂宇が完成した。その後、710年平城遷都に伴い、718年に平城京六条二坊の現在地に移転した。藤原京内の薬師寺は平安中期までは存続したようだがその後廃寺となる。現在は「本薬師寺跡」として特別史跡に指定されている。
薬師寺の諸堂は、東塔を除いて焼失したが、金堂が昭和51年(1976)に復興されて以後、西塔・講堂と復元が進んだ。再建された金堂には、本尊薬師如来とその脇侍日光・月光菩薩の薬師三尊が安置され、白鳳期の代表仏の輝きを放っている。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主である。人の心身の病を救い、病気に応じて薬を与え、健康を維持してくれる応病与薬の仏で、医王如来とも呼ばれる。

手前から、講堂、金堂、東塔と並んでいる。

金堂。北西方向から。

金堂。南側正面。

本尊薬師三尊像。(薬師寺解説書より)

薬師寺解説書表紙。東塔と再建された西塔・金堂が並ぶ。