丸亀城から西北の瀬戸内海沿いのところに中津万象園がある。庭園は、貞享5年(1688)に丸亀藩主である京極高豊の命により、中津の浜に面して造られ、名は森羅万象に由来してつけられた。京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池が掘られ、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と近江八景になぞらえ名付けられた島々が浮かび、橋で巡る事ができる。それとは別に朱塗りの邀月橋も池をまたいで掛かり、園内に彩りを添えている。池に面しては、潮の満ち引きが見られたという観潮楼、その近くには母屋が茶庭に面して建ち、樹齢六百年と言われ傘に似た形を持つ大傘松が広がる。
現在、園内には、丸亀美術館が開設され、絵画館、陶器館、雛人形を展示したひいな館から成り、庭園と共に入る事が出来る。

中津万象園入口

八景池

邀月橋(ようげつばし)

大傘松

柿本人麻呂歌碑。
玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども 飽かぬ 神柄か ここだ貴き 天地日月とともに 満(た)り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 中之水門(なかのみなと)ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて 彼此(おちこち)の 島は多けど 名ぐはし 狭岑(さねみ)の島の 荒磯面(ありそも)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(と)の 繁き浜辺を 敷栲(しきたえ)の 枕になして 荒床に より臥(ふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おぼほしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは
反歌二首
妻もあらば 摘みて食(た)げまし 沙弥(さみ)の山 野の上(へ)の宇波疑(うはぎ) 過ぎにけらずや
沖つ波 来よする荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝(な)せる 君かも