名古屋城の整備にともない、愛知県体育館を移転する計画が俎上に上ってきた。今後どうなるかはわからないが、ぜひここに愛知県歴史博物館のような文化施設を建ててもらいたいものだと思う。
さて、この愛知県体育館の地は、江戸時代には二の丸の枠内であった。
明治維新後、名古屋城は新政府に接収された。明治4年(1871)東北から九州まで四分割された各区域にそれぞれ鎮台が置かれ、同6年には広島、名古屋にも鎮台が設けられた。名古屋鎮台の管内に組織されたのが名古屋の歩兵第六連隊であり、名古屋城内に設置された。
明治21年(1888)に、鎮台は師団に改編され、名古屋には第三師団が城内に置かれた。歴代の第三師団長の中に、首相を3回勤めた桂太郎がいる。桂は、主税町の長屋門が残っている佐藤家に寄宿していたことがわかっている。その他、児玉源太郎、上原勇作など歴史に名を残した人物も師団長となっている。
空襲を免れた歩兵第六連隊の兵舎は明治村に移築され、衛戍(えいじゅ)病院とともに当時の姿を今も見ることができる。
また、名古屋市役所の北西角、地下鉄の入口の前の植え込みの中に「騎兵第三連隊」の碑が残されている。

昭和初期の絵図に記された名古屋城内の軍関係施設。

愛知県体育館の北西の角に建つ「歩兵第六連隊」の碑。

市役所の北西角に建つ「騎兵第三連隊」の碑。地下鉄の入口の横にある。

明治村に移築された「歩兵第六連隊」の兵舎。

兵舎の中の兵士の宿営。

同じく、明治村に移築された名古屋衛戍(えいじゅ)病院。