住吉神社の建てられている場所は、名古屋台地の西側の縁辺であり、江戸時代には眺望の良い名古屋の景勝地として多くの人が訪れたところであった。現在では南側と西側に大きな道路が走り、また住吉神社の西南には大きなビルが建ち、眺望の良さを示す往時の面影はない。
住吉神社の社記には、
「享保19年(1734)に摂州の住吉神を勧請した。当初は、新尾頭町道筋東側の小堂内に奉安した。宝暦12年(1762)にいたって社域を現所にさだめ、大坂廻船名古屋荷主の笹屋惣七、藤倉屋長六ら極印講中12名が、運漕守護のため社殿を創建して神儀を奉遷した。後に江戸廻船講中時田金右衛門らも信者に加わり修営をおこたらなかった。その威霊は遠く伊勢・知多・熊野の沿岸にもおよんだ。
また境内の人丸・天神両社をあわせて和歌三神としての崇敬がおこり、松坂屋の先祖伊藤祐民は、社前に有志をつどえ和歌法楽をもよおして、おびただしき詠草を献するところがあった。
社地は堀川東岸に切り立った高台を占め西南にひらけた眺望はさえぎるものなく名勝とせられた。明治初年(1868)に村社列格、大正15年には(1926)幣帛供進社に指定せられたが、昭和20年(1945)3月の戦災にかかり、その後都市計画により境内の縮小をみた。(後略)」
とある。
境内本殿前の狛犬は、名古屋市内に残存するもので最も古いもののようである。狛犬が奉献されたのは寛政元年(1789)である。吽(うん)形の狛犬の頭頂には角がある。阿形には角がないが、本来は狛犬とは言わずに獅子というらしい。だから狛犬一対というのではなく、一対の狛犬・獅子というのが正しいらしい。
*参照 狛犬
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%9B%E7%8A%AC
また、立派な常夜灯が2対あり、ひとつは大坂廻船名古屋荷主が奉献したもの。これは安永7年(1778)・8年(1779)の刻銘がある。もう一つは、野間一色村講中によるもので寛政元年(1789)の刻銘がある。狛犬の奉献と同じ年であるので、狛犬も野間一色村講中によるものか。
現在の宮司は、港区の築地神社の宮司が兼務しているとのこと。秋葉さんのお祭りをするということで氏子の方が準備をされていた。

狛犬吽形

狛犬吽形

狛犬(獅子)阿形

左が大坂廻船名古屋荷主、右が野間一色村講中の奉献した常夜灯。

大坂廻船名護屋荷主という刻銘。

野間一色村講中の奉献した常夜灯。寛政元年の刻銘。

戦後再建された本殿。垣の内に入れていただいて撮影した。

社務所の前庭に、名古屋城創建当時のものと伝えられる灯篭があった。由緒を説明していただいたのだが、覚えきれなかった。家紋が入れられている点やとっくり形の胴体部分などなかなか珍しいものであることは間違いないようだ。