笠寺観音本堂東側の墓地に「キリシタン灯篭」がある。
竿(さお)の上部が左右に円形に張り出し、その形が十字架に似ている。竿の中央部分に地蔵に似せた像が陽刻されている。これはキリスト像ともマリア像ともいわれ、隠れキリシタンの信仰の対象となったのではないかと思われる。笠寺観音のものは、中台(ちゅうだい)、火袋(ひぶくろ)は失われ、竿の上に直接笠が載っている。
「キリシタン灯籠」は、一般的には「織部灯籠」と言われることが多い。織部流茶道の祖である古田織部が、天正年間(1573〜91)の切支丹全盛時代に、信者や茶人の好みに合うよう創案したものといわれる。
キリスト教は、天正15年(1587)豊臣秀吉の「バテレン追放令」から統制対象となり、慶長元年(1596)には長崎において「26聖人の大殉教」という大弾圧が行われた。しかし、バテレン(宣教師)の潜入は続き、キリスト教の信者は増大していった。江戸幕府は、イスパニアの領土的野心を疑い、キリスト教の教義が幕府支配の障害になると判断して、慶長17年(1612)まず直轄領に禁教令を出し、翌年全国に拡大した。慶長19年(1614)には、高山右近らキリスト教徒148名をマニラ・マカオに追放し、キリシタン弾圧を強化するとともに、鎖国政策を実施していった。尾張でのキリシタン弾圧については、かって「栄国寺」のところで記事にしたので参考にして欲しい。*
http://red.ap.teacup.com/syumoku/115.html
ところで、織部灯篭(キリシタン灯篭)は、橦木館の中庭にもある。また、赤塚の神明社にも近所の屋敷にあったものが移されて残っている。

笠寺観音のキリシタン灯篭。

橦木館の中庭の織部灯篭。

赤塚神明社のキリシタン灯篭。

栄国寺のキリシタン灯篭。