聖ザビエル天主堂
【旧所在地】京都市中京区河原町三条
【建設年代】明治23年(1890)
昨年2006年は、フランシスコ・ザビエル生誕500年記念の年であった。日本での布教を終え中国へ向かったザビエルは、1552年広東港外サンシャン島で亡くなる。その遺骸は奇跡的にも腐敗しなかったために、聖人の奇跡とされ、インド南部のオールドゴアのボム・ジェズ教会に安置された。
その後、聖人に列せられたザビエルの遺骸は、崇敬の対象となり多くの信者が訪れるようになる。現在は10年に1度ずつ公開されている。また、その右腕は切り取られ、ローマに運ばれてジェズ教会に安置され、こちらも信者の崇敬の対象となっている。
このザビエルの「聖腕」は、実は今までに2度も日本に運ばれ、カトリック信者により礼拝の儀式が執り行われている。昭和24年(1949)のザビエル渡来400年の記念の年と平成11年(1999)渡来450年の記念の年にである。
イエズス会宣教師としてのザビエルは、天文18年(1549)鹿児島に上陸し、島津貴久に謁見し布教の許可を得た。その後、周防の大内義隆のもとをへて京都に向かい、天皇に会って布教の許可を得ようとした。しかし、天皇に会うことはかなわず、再び大内氏の山口に戻り、さらに豊後の大友宗麟に会い、布教の許しを得た後、日本を後にした。
さて、京都河原町五条の聖公会「聖ヨハネ教会堂」の建立より17年前、明治23年(1890)同じ京都の河原町三条にフランス人ビリオン神父によりカトリック「聖ザビエル天主堂」が建てられた。
ビリオン神父が京都に来たのは、明治12年(1879)。二条高倉にささやかな家を借り、これを仮聖堂とした。その後、信徒の増加とその浄財により河原町三条上ルの対馬宗氏の旧大名屋敷地を買い取ることができ、ここに聖人ザビエルの布教を称える聖堂を建てることを決意したのである。
「聖ザビエル天主堂」は、明治23年(1890)に完成し、献堂式にはフランス大使・京都府知事をはじめ、政財界の多くの名士が参列して盛大に行われたという。
設計原案はフランス本国から取り寄せたが、建築を担当したのは、日本人棟梁のペトロ・横田であった。身廊・側廊からなる三廊式の典型的ゴシック様式で、大アーケード(連続したアーチ形の天井)・トリフォリウム(側廊上の小アーケード)・丸窓のあるクリアストーリーで構成される。三層からなる内部も典型的なゴシック様式である。鮮やかなステンドグラスが整然と並ぶ。正面入り口の上部にはめられた薔薇窓は、特に見事である。ステンドグラスは、色硝子で模様を描いている。二重の構造で内側の絵ガラスを外側の透明なガラスで保護している。ゴシックの色彩芸術を代表するものである。
*明治村公式HP
http://www.meijimura.com/visit/s51.asp#a01

フランシスコ・ザビエルの肖像。神戸市立博物館蔵。

聖ザビエル天主堂。

背後から見た聖ザビエル天主堂。

正面の壁。2方向のバットレスの上にピナクル(小尖塔)。

内陣。束ね柱など天井板を除くすべてに落ち着いた光沢のある欅材を使用。

祭壇部のステンドグラス。

側廊部のステンドグラス。

正面入り口の上部にはめられた薔薇窓。