先日、瑞穂球場へ野球の応援に行ったときに、開始時間よりずいぶん早く着いたので、陸上競技場の東にある「あゆちの水」の遺跡や競技場入り口の西側の大曲輪貝塚、野球場の西南にある瑞穂2号古墳などを見て回った。
「あゆちの水」は、万葉集の巻13-3260 作者不詳の歌にうたわれている。
小治田の年魚道の水をひまなくぞ 人は汲むとふ時じくぞ
人は飲むとふ汲む人の ひまなきがごと飲む人の
時じきがごと吾妹子に わが恋ふらくはやむ時もなし。
尾張名水の一つ「小治田の年魚道水」(おはりだのあゆちのみず)の推定場所である。「あゆち水」歌碑の下段に万葉歌が原文のまま刻まれている。碑は、昭和11年(1936)4月 「横江信行建立」と銘が彫られている。、
この歌の地名について、契沖の「万葉代匠記」では、「小治田」を「尾張田」、「年魚道」を「愛智」と見る尾張説をとなえている。これに対し、沢潟久孝、土屋文明らは、大和説を唱えている。松田好夫は、「万葉集における東海地方」や「小治田の年魚道の水」の著書では尾張説の主張している。

昭和11年に建立された「あゆちの水」の碑。

「あゆちの水」の井戸。
