尾張旭あれこれ

尾張旭市に居住して40年がたちました。退職してから、じっくりと自分の住むまちを見つめなおしています。意外に古い歴史があり、自然も豊かです。しかし、開発の波に押され、貴重な文化がどんどん失われていくのも現実です。備忘録のように、尾張旭とその周辺のことを書き留めておこうと思います

 

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投稿者:masa
harumi様 
ルイズの映画を見たいですね。どこが管理しているのでしょう?
橦木館の座敷で上映会というのは、企画のひとつとして立ち上げたいですね。

kawa様
「橘瑞超」については私も興味がありますので、調べてみようと思います。
投稿者:kawa
橘少年でまたまた話がそれて恐縮ですが、大谷光瑞の中央アジア探検隊で大きな足跡を残し、NHKの新シルクロードでも紹介された、橘瑞超師が名古屋の栄出身であることはあまり知られてませんけど、名古屋の情報としてもう少し知りたい点です。
投稿者:harumi
橘少年の墓のことは、大杉栄と伊藤野枝の遺児の一人、ルイズを取材したドキュメンタリー映画でふれていました。「谷根千」の森まゆみなども参列していたようです。ルイズの映画には大いに感動して、2002年に橦木館の座敷で上映会をやりました。私も一度は墓参りをしたいと思っています。
投稿者:masa
またまたご教示ありがとうございます。早速、行ってきます。「城山だがやぁ」というサイトは、記事を書くときに参考にさせてもらいました。
投稿者:きさらぎ
ご存知かもしれませんが「城山だがやあ」という本山城山のサイトがあります。ご当地だけあって非公開の「昭和塾堂」の内部や「城山八幡情報」が満載です。

http://www.geocities.jp/cnmyk558/
投稿者:きさらぎ
橘宗一少年の墓は前文の愛昇殿の道路を隔てた真南の墓地(中央部は谷状です)の底に近い所にあります。
大分以前ですが大勢の人が集まって式のような事をしていました。話には聞いていましたがその時知りました。南向きですから底の所から北を向かれると探し易いと思います。

http://www.geocities.jp/cnmyk558/
投稿者:masa
ご教示ありがとうございます。だいたいの場所はイメージできました。昭和塾堂につては明後日に記事として載せるつもりでいます。写真は、きさらぎ様のものの方がよろしいですね。リンクさせていただきます。
ところで、あのあたりの日泰寺墓地に大杉栄とともに虐殺された橘宗一少年の墓があるはずなのですがご存知ありませんか。
投稿者:きさらぎ
揚輝荘トンネル入り口、是非残して頂きたいものです。

「三明火葬場」は明治30年出来たそうで大正9年頃の地図に載っています。場所は現在「自由が丘愛昇殿」の東隣、「瑞専寺」横の駐車場になります。
愛昇殿の北に「大心寺」がありますが、かっては今、愛昇殿のある所に朱塗りの本堂がありました。
それが覚王山電停から参道を通り、先祖のお墓へ行く目標でした。ビデオに残っています。
少年期の記憶では西源蔵池(放生池)も満々と水を湛えてその向こうに第一陸軍碑が見えました。
「昭和塾堂」と共に私の原風景です。

http://www.geocities.jp/cnmyk558/
投稿者:masa
 揚輝荘のトンネル入り口は、マンション用地の中にあるため、記念碑として保存するよう働きかけが進められているようです。
 「ほうろく街道」という名称については私も「やまのて音楽祭」のパンフレットで知りました。
 「三明火葬場」というのは、初めて知りました。また、お教えください。
投稿者:きさらぎ
覚王山通りから参道は大きく変わりました。
自由が丘西の墓苑には先祖の墓がありますから随分前からビデオ撮影をしながら歩きました。今はもう見られない建物が見られます。
揚輝荘のトンネル入り口はどうなったんでしょうか。名古屋に住んでいないので何もお手伝いできないのが残念です。
給水塔北の四観音道標から東へ「ほうろく街道」があった事を「やまのて音楽祭2005」の資料の巻末で白壁アカデミア世話人池田誠一氏の城山・覚王山をめぐる古道で知りました。覚王山墓苑に三明火葬場があり名古屋の町から葬列の行く道で「法六句(南無阿弥陀仏)」の意味もあるのではと書かれています。
この火葬場は戦後駐留軍の命令で廃止されたと現地の花屋さんに私は聞きました。
私は七才の夏、母の葬列でここまで行った事を鮮明に憶えています。

http://www.geocities.jp/cnmyk558/
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