赤塚の神明社の前を通ったら、2月3日の節分会の案内が出ていた。
節分会といえば、尾張四観音である。竜泉寺観音、笠寺観音、甚目寺観音、荒子観音が四観音。今年の恵方は、笠寺観音である。
『愛知県の歴史散歩』に載せた記事の続きで「竜泉寺」について復刻します。
竜泉寺のバス停から北西に少し行くと駐車場があり、階段を上ると竜泉寺(天台宗)の参道に出る。正面に仁王門(国重文)、その奥に本堂が見える。竜泉寺は松洞山(しょうどうさん)と号し、尾張四観音の一つである。寺伝によると延暦年間(782〜806)に最澄が熱田神宮に参籠の際、神示により多々羅池からあらわれた銅造馬頭観世音菩薩を祀ったのに始まるという。古くから熱田神宮の奥の院と称してきた。
天正12年(1584)小牧長久手の戦いで豊臣秀吉がここに陣を構え、小幡城によった徳川家康と対決しようとした。家康が夜のうちに小牧山に移ったため、秀吉も楽田城に引き返したが、退陣する際に焼き払った。その後、慶長3年(1598)密蔵院の秀純が私財を投じて寺を再興した。仁王門は当時のものであり、三間一戸楼門・入母屋造・柿葺(こけらぶき)である。
寺宝には、嘉元元年(1303)の無住作の刻銘をもつ木造地蔵菩薩立像(国重文)ほか、延宝4年(1676)作銘の円空仏である馬頭観音などがあり、現在は本堂裏の宝物館に陳列されている。本堂の北側は庭園になっており、庄内川から春日井方面の眺望がすばらしい。
節分の日には、本尊馬頭観音像にちなむ竹の串や細い竹の軸に張子細工の紅と白の馬の首をつけた玩具の春駒が頒布される。

仁王門

本堂

左 竜泉寺城(予想復元)
右 庄内川方向景色

左 円空作「馬頭観音」
右 春駒 笛馬 串馬