1月28日(土)の中日新聞朝刊の市民版に古い道標が「二葉館」に移設されたという記事が出ている。当日橦木倶楽部の運営理事会がありガイドボランティアの会の伊藤喜雄さんにその話しを聞いたので、早速「二葉館」に行き、写真を撮らせてもらった。1階の座敷の廊下の東側の中庭に設置されているので、残念ながらガラス越しにしか撮影できなかった。高さ1m、重さ80kgということで結構重いものである。
道標には、
是より右江戸道
と彫られているが、ガラス越しの肉眼では判別しづらい。
さて、本来この道標はどこにあったものなのか。
名古屋城が築城される以前の道標と伊藤さんは推測されているが、「右へ曲がると江戸」とは、清洲城から那古野城跡をへて、現在の市政資料館のところへ出て、そこで右へということであろうか。とすれば、そのまま南に直進して東海道に行き着く。熱田の少し東くらいの場所だろうか。
場所的に本来どこにあったのかは判然としないが、清洲からつながった東西の古道と現在の外堀沿い南北の古道が交差したところであっただろう。城下が形成された後、市政資料館の東南の交差点、堅杉町と主税町の交差点の東(主税町筋)の北側3軒目にあった山高家に伝えられた。その後、現当主が守山に引っ越した時に一緒に移動し、今回、伊藤さんの尽力により名古屋市に寄託されることになったのである。
参考1 明治に作られた、佐野屋の辻にある善光寺街道の道標
http://green.ap.teacup.com/applet/syumoku/59/trackback
参考2 江戸時代中期「延享元甲子年(1744)」と刻まれた大曽根の道標
http://white.ap.teacup.com/applet/syumoku/14/trackback

「文化のみち 二葉館」中庭に移設された道標。

「是より右江戸道」と判読できるか。

主税町筋の山高家。