「山陽5000系・5030系、100周年マークを取り付けていた時の姿」
阪神電気鉄道・山陽電気鉄道
昨年、山陽電気鉄道は創立100周年を迎え、車両面では各形式の側面に貼られていたロゴマークが一新されました。前のロゴマークも好きだったのですが、今のロゴマークも似合っていると思います。
他社の場合、ロゴマークが取り付けられると旧社紋が撤去されてしまうことがあるのですが、山陽電鉄の場合は社紋がそのまま残っており、戸袋部にロゴマーク、窓下に社紋という組み合わせになっています。
写真は高速神戸で撮影した5000系と5030系です。前面の100周年ヘッドマークは直通特急に充当出来る編成にだけ取り付けられていたと思うのですが、撮影した日がちょうど甲子園球場での阪神タイガースの試合日だったこともあって100周年ヘッドマーク+タイガースの副標識という組み合わせになり、実質2枚看板のような形になっていました。山陽電車も阪神タイガースの応援に協力しているので、阪神電車同様に側窓にタイガースのステッカーが貼ってあったり、甲子園での試合日に限りタイガースの副標識が取り付けられます。しかし、山陽車+タイガースのマークばかりを狙って撮影すると「山陽タイガース」って言いたくなってしまいますね。
山陽電車は今でこそ3000系列と5000系列しかありませんが、5000系登場前は吊り掛け駆動で冷房も無い電車が普通車(各駅停車)に充当されていました。昔は250形や2700系など多彩な顔ぶれで、日本の私鉄で唯一標準軌仕様の63形(800系→700系)が走っていたこともありました。今の山陽電車は19m3扉車ですが、20m級の4扉車が走っていたというのは驚きです。
塗色について見ていくと、昭和50年代は上半分が黄色で下半分が紺色のツートンカラーで、3000系の前面が東武8000系みたいな高運転台(東武は平窓だが山陽はパノラミックウィンドウ)だったため、パッと見て「何か東武をツートンにした感じだなぁ〜」って思ってしまったこともありました。
車両以外では、電鉄姫路や電鉄明石といった「電鉄」が頭に付く駅が幾つか見られたのも山陽電車の特徴でしたが、今は一部の駅で電鉄を削除し、JR西日本と駅名が重複する駅では「電鉄」を「山陽」に変えています。しかし、電鉄と付く駅名というのは珍しく、私が山陽電車を調べるきっかけにもなってただけに勿体無いとも思ってしまうこともあります。山陽電車が「電鉄」から「山陽」に変えたことで今でも残っている「電鉄」と付く駅は富山地方鉄道の「電鉄富山」くらいになってしまいました。