間もなく実施される東武鉄道のダイヤ大変更は伊勢崎線・日光線系統と東上線系統が同じ日に実施されるという今までだったら考えられない大変更になりますが、伊勢崎線・日光線では浅草〜新栃木間の区間急行が絶滅寸前になったり日中の区間準急が無くなったり準急全盛期の頃は想像も出来なかったことが現実になってしまい、「日中の浅草発着が普通電車ばかりになる日が来るなんて・・・」って思ってしまいました。区間準急の運転時間帯が縮小されることにより日中の竹ノ塚〜久喜・南栗橋間は10000系や10030系による営業列車が走らない時間帯が発生してしまい、「8000系がいた頃だったら有り得ない」って思ってしまいます。
区間準急は7年前のダイヤ大変更で浅草〜久喜間の運転が基本になっていましたが、8000系がいた頃は同系による列車も度々見られ、東上線から転属してきた8120Fや8124Fなども活躍しました。区間急行が赤なのに対しこちらは緑であったため元東上線の編成でこれを見ると「東上線だと緑は特急だから最上位だけど、伊勢崎線の区間準急は格下種別だからなぁ〜」って思ってしまいますが、その東上線も特急が無くなって快速急行になり、それも緑でなくなってしまいますし・・・
写真は元東上線の8124Fが伊勢崎線で活躍していた頃のものですが、この編成は未修繕時代から東上線で活躍し、非冷房時代にはチョッパ制御の試験にも抜擢されました。試験は同編成のモハ8224とモハ8324の間にサヤ8001を組み込んだ5両編成で行われ、旧形車(モハ5451)の車体を流用したサヤは非常に目立っていました。試運転は森林公園周辺で行っていたため池袋まで来ることはありませんでしたが、試験終了後にその編成のまま西新井工場に入場したため一度だけ試験編成が伊勢崎線を走りました。かつて保育社から発売された「私鉄の車両24 東武鉄道」に鐘ヶ淵の中線で待機中のサヤ8001の写真があります。
伊勢崎線・日光線系統に転属した後は東上線に復帰することなく廃車まで区間急行や区間準急などで活躍した8124Fですが、東上線時代末期はクハ8424の方が先頭に立つことが多かったのに対し伊勢崎線・日光線ではクハ8124の方が先頭に立つことが多く、3本のジャンパ栓が並んだクハ8124の顔を見る機会が多かったのは嬉しいことでした。東上線では当たり前のことでしたが、転属後も10両編成の列車に充当される機会があり、組み合わせが東上線よりも面白かったため「転属後の方がいい仕事してる」って思ったことがありましたが、8000系の10両編成は業平橋(現とうきょうスカイツリー)の地平ホームが無くなってからは北千住から浅草方面には入線しなくなったので同ホーム撤去後に転属した8124Fは10両編成の列車で鐘ヶ淵や曳舟に来ることは出来ませんでした。